會田瑞樹の音楽歳時記

打楽器奏者、會田瑞樹の綴る「現代の」音楽のあれこれ。

楢崎洋子先生を偲んで

 大学時代の4年間、顔から火が出そうな事を毎日積み重ねていた。見えているはずのものが見えていなかったり、小さいものが大きく見えていたり、大きいものを小さくみようと意固地になったりする生意気がカラダ中を支配していた。

 そんなわんぱく小僧が、楢崎洋子先生と出会った。

 2010年、八村義夫に出会った興奮そのままに、自分は日本の作曲家をやらねばならないという使命感に取り憑かれた小僧は4月に楢崎先生と出会う。先生の専門は日本現代音楽であり、僕にとっては格好の生き字引であった。先生の授業は文献に忠実に、出典を明確にすること、思い込みで書いたりしない。その三点を中心に展開された。一方僕はといえば、思い込みまっしぐらのイノシシだった。少し自分が発表をすれば、楢崎先生は苦笑いをして「ああ、もう時間足りないじゃないですか。」とまくしたてるように僕の誤りを正す。一時期、あの先生はいつ息継ぎをしてしゃべっているんだと学生の間で噂されるほど、先生はいつも急いでいた。
 そんな忙しい授業だから、僕は最前列に陣をとって漏らさず聞くように心がけた。日本現代音楽のアカデミズムと在野の分析からはじまる講義の数々は、自分自身が好きだったたくさんの現代作品が、手に取るように分類され、八村義夫という人の特異性にあらためて気がつくこととなった。同時に、まずは日本の現代打楽器音楽の総覧となるような演奏会をしてみたいと思うようになった。それがサントリーホールレインボウ21への応募につながり、先生にもその企画骨子を作る上でいくつもの励ましのお言葉をいただきながら、選曲と企画書の内容を詰めていった。手作りの企画書は公演実現に向けて、その歩みをサントリーホールへと進めて行った。  
 2011年4月からの楢崎先生の授業の冒頭はレインボウ21のプログラムノートの入稿期限その日まで僕の文章の推敲にあてられた。夜中の三時を過ぎてなお、楢崎先生から電光石火の如く猛烈な赤字のワードファイルが帰ってくる。この人、一体いつ寝てるんだよ、と画面の前で声をあげたものだった。  
 当時のデータが残存していた。 (太字斜体は楢崎先生の赤入れ修正、細字は拙文)

曲目解説 記憶の籠を辿る時⇒わかりにくいです
 
古くから歴史を持つ楽器は、時代を経るごとに改良を重ね、最良の響きがなされるために研ぎ澄まされていった。同時に、優れた作曲家とその声に耳を澄ます演奏家の存在があった。そしていま、現代に生きる私たちはその楽器を手に取っている。(⇒ヴァイオリンをはじめ、改良されない楽器もあり、また、打楽器でもマリンバなどは改良されるので、このセンテンスは適切ではありません。たとえば、以下のような書き出しにする)  
 打楽器の音楽は、ここ50年の日本の現代音楽界において多くの発展を遂げた。そこには希代の名演奏家と、作曲家の存在があった。とりわけ打楽器奏者吉原すみれの登場によって、作曲家はその存在そのものに大きな(⇒トルツメ)創作意欲を燃やした。吉原のために多数の作品が書かれ、ひたむきに一音一音に向き合うその姿に、作曲家たちは惚れ込んだ。かつて作曲家石井眞木はこう言った。「打楽器のカンバスにはまだ白地が残っている。打楽器音楽には、まだまだこれから新しい創造の花を描く広い余地がある」。  
 今、日本の打楽器音楽の歴史は半世紀を迎えた。ここでひとつの歴史の総覧し、若い世代は、その大いなる遺産を継承するときが来ている事を認識しなければならない。 ここに、今回の選曲はどのようなコンセプトによるのか、4つのグルーピングはどのような観点によるのか、それぞれのグループの聴きどころ等を述べてください。ソロ(マルチ・パーカッション)、ソロ(マリンバ、鍵盤)、打楽器アンサンブル、の3つのタイプに分けられていると思うので(ソロ(マルチ・パーカッション)はさらに2タイプに分けられていることになるでしょうか)、それらの楽器の選び、組み合わせの違いによる打楽器の様々な局面についても述べてください。 同時にこの演奏会で、打楽器音楽の深い魅力を、多くの聴衆の皆様方が発見して下さる事を願ってやまない。

※各曲の解説の中で初出の作曲家名には(  )で生年~没年を書いてください。もし、前文で作曲家名を挙げるのであれば、前文の中で挙げてください。 ※以下の曲目解説では、どの作品についても作曲者の自作解説を簡潔に紹介して解題してください(引用に語らせないこと)。


Ⅰ 打楽器音楽の創始
 以下の武満、福士の作品を「打楽器音楽の創始」に分類するのはあまり適切ではないと思うのですが(すでにチラシに書いてますね)、創始として扱うなら、その根拠を述べてください。たとえば、すでにあった欧米の打楽器音楽とは異なる新たな特徴を加えたという点で、これらの作品を日本の打楽器音楽の創始と呼ぶにふさわしいのかを、いかなる点で新しいのか、独特なのかを、各曲の解説の中で述べてください。たとえば、ソロによるマルチ・パーカッション作品である点を取り上げて、楽器の選びにどういう傾向や特徴があるのか、等について書いてください。北爪さんの曲を最後に「未来へ向かって」に取りあげるなら、ソロ・パーカッション作品における楽器の選びや発想が、この数十年のあいだにどう変遷してきたかについて(たとえば、多種類を使おうとすることから、そうではない方向に変わってきたのかどうか、それはなぜなのか)、各曲の解説の中で、前文にも書いてください。(以下後略)

 感情に流されやすい僕の性格をも見抜いているかのような赤入れは、当時の僕に多大な影響を及ぼしたことは言うまでもない。太陽が登る頃に修正原稿を先生に再送。床で寝たのち、始業10分前に起床し大学に走る。これも僕にとって演奏と同じくらいに大事なレッスンであり、思考の稽古だった。  

 学部二年間の楢崎先生との邂逅は僕の礎を築く重要なものだった。大学院に進学したのちは個人的な授業の繋がりは減っていったものの、様々に挑戦する賞の審査員として楢崎先生は度々公演会場に足を運んでくださっていた。大抵先生は終演後、どうしてこんなに早く歩けるんだ、という超速の歩みで会場を後にされ、立ち話すら困難だった。先生は急いでどこへ向かっていたのだろう。  
 2020年8月28日、楢崎洋子先生の訃報に接し、メールサーバーに一番に出て来たのが2013年8月のリサイタルを終えた後のやりとりだった。それは、今尚僕に語りかけるメッセージだと思った。時を超えそれは、楢崎洋子、という生き様すら、そこに見出してしまう自分がいた。そんなことを先生に申し上げたなら、たちまちきっと、少し早口に、「あなたはいつもそういう感傷的なところがあるから。」と笑顔を見せてくださるかもしれないと、思いを馳せる。

 

 會田瑞樹 様  
 昨日は舞台、客席ともに充実していておめでとうございます。忙しくなるなかで質を変えることなくこなしておられることにまず敬服します。昨年を思い起こしてみると、会を重ねるごとにじんわりと演奏の視界と語彙が豊かになっているのを感じます。それを続けることで、要のタイミングには飛躍的に変わったなあと感じさせることがあるのでしょう。今回の演奏も、作曲者にとっても、それぞれの構想にほとんど重なるような理解にあふれた演奏だったであろう、と思われます。  
 今後、聴きたいと思うのは、作品に対しても、それを音にする自分自身の演奏に対しても、批判的な視点を向けた演奏でしょうか。舞台に提示するのは、それまでの過程をいっさい封じるような、すっきりした作品像であり演奏で ある、といった認識を會田さんの演奏には感じるので、舞台には出てこない、各作品に対してのいろいろな引っかかりはないことはないだろうとも思います。作品に対しての、それを演奏する自身の理解に対しての引っかかりを批判として、作品と演奏に対峙させた演奏を聴きたいとも思います。  
 批判は、否定することでもなく悪口を言うことでもなく、対象に潜むものを引き出すための考察であり、それを引き出すために自身の演奏を超えるための考察です。作品と演奏の関係は、円環をなすものであるよりも、相互に理解を超えるところがおもしろいのだと思います。理解を超える関係を克服したのが今回の演奏であるのかもしれません。演奏する作品のタイプが広がるほどに、作品と演奏が鼓舞し合う演奏を聴きたいと思います。  楢崎洋子  

 

 楢崎洋子先生のご冥福をお祈りいたします。

 2020年8月30日 會田瑞樹