會田瑞樹の音楽歳時記

打楽器奏者、會田瑞樹の綴る「現代の」音楽のあれこれ。

食べることが三度の飯より好き:一食め「三度の飯の概念」

 食べることが三度の飯より好き。これは実は日本が生んだ大哲学者土屋賢二先生のエッセイにある言葉を拝借している。  
 そもそも三食ご飯を食べる習慣は子どものころからあまりなかった。  
 実のところ小学校のころから、トーストを出されて、いやいや食べる、ひどい時には食べないで通学。それじゃまずいと、味噌汁だけは飲んで行きなさいと両親に注意される妙な子どもだった。小学校の給食は美味しかった。ただ、その当時はお残しは許さないという雰囲気もあった。夜は母の料理を美味しく食べていた。この時点で二食だ。  
 現在はどうだろう。浮き草稼業ゆえに、朝は基本的に遅い。ピークは夜。そうなると、自然と朝食はいらない。昼ごはんも軽めに蕎麦やうどんやラーメン、夜はお酒とともにじっくりと…それが僕の食べ方の基本軸だ。(これも佐々木倫子先生の漫画「Heaven?」のオーナーのセリフに近い。)昔、朝食が美味いのだ、とパン屋のモーニングに連れて行かれたことがあった。確かに、美味しいのだが、僕の胃は完全に睡眠中。突然のパンの波状攻撃に目を白黒させながらパンを食べた記憶がある。  
 こんなことを書いていると、朝食を抜いて身体に悪い、と手厚く心配してくださる方もいらっしゃるかと思うのだが、どうも僕の持論としては、食べるタイミングも、そして食べる速度も、好みも、本当に一人一人の個性に分かれているように思える。海外旅行に行けば機内食は間髪入れずに向こうのタイミングで供出される。時差によって身体はグラグラしていても、到着した国の時間に合わせて、食事に行く。もはやここに三度の飯の概念はない。 加えて、様々な国のごはんは、塩か砂糖かスパイスか、ソースか、だしか・・・様々な味付け、そして宗教上禁忌とされる食べ物の有無、実に様々で一口に語ることはできない。  
 だからこそ、僕は感謝している。目立ったアレルギーもなく、ひとつの好き嫌いもなく育ててくれた両親に。そして健啖家な両親や祖父母の様々な料理へのこだわりに。  
 あ、実はひとつだけ。今でも母からは、あの食材についてからかわれる。