會田瑞樹の音楽歳時記

打楽器奏者、會田瑞樹の綴る「現代の」音楽のあれこれ。

松村禎三先生とわたし

 僕は在りし日の松村禎三先生にお会いしたことはない。最近になって松村禎三先生の肉声を聞く機会があったのだが、あまりにも祖父に似ていて(思えば骨格が似ているような気がする)驚いた。松村先生は京都生まれ、祖父は姫路生まれという意味でも両者どこかで一度はすれ違ったことがあったかもしれない。

 

 2007年、僕は大学受験に失敗し、しかも最後に受けようとした学校はインフルエンザ感染のために強制帰還という、踏んだり蹴ったりの状況に陥った。あまりの熱に東京のビジネスホテルから仙台にいる母親に救援を求める情けない状態だった。あの日はやたらに春うららかな天気で、それが悪寒をさらに痛感させたことをよく覚えている。二日間ほど点滴を打ってもらいようやく回復するという、自分史上稀にみるひどい病状だった。
 振り出しに戻って浪人生として勉強をしよう。と、誓いつつも、その時の僕に4月の桜は眩しすぎた。これからいったいどうなるのだろう。そんな不安でいっぱいだった。その時の僕にはメランコリックな旋律を持つ、吉松隆氏の音楽は救いだった。すると隣県の山形で氏の代表作《サイバーバード協奏曲》の上演があると聞く。仙台・山形間はバスで一時間ほどだし、祖父母も山形にいる。少し足を伸ばして聞きに行こうと計画した。

 開演19時、山形県民会館だった。当日は吉松氏も来場されていたと思う。若干父親に似ていると思いながら、トークに耳を傾けていた。《サイバーバード協奏曲》は須川展也氏の鮮やかなプレイが駆け巡った。後半、吉松氏がトークでおもむろに松村禎三先生の話を始めた。当夜、締めの演目が《交響曲第一番》だったのだ。「松村禎三先生は僕の師匠でもあり…」というお話から、「今日もご来場を予定されていたけれど、入院されてしまって残念…久しぶりにお逢いできると思って私も楽しみにしていた…」そのような旨のことをお話しされていたと思う。
 その日、僕は山形から仙台に帰らなければならなかった。最終のバスは21:20ころ。いよいよ松村作品で、時刻は20:40。万が一間に合わなかったらどうしよう。でも交響曲と銘打っているし、楽章間で出ることも可能だろう。そんなことを考えていたと思う。

 

 そして、その考えは冒頭30秒で木っ端微塵に崩れた。

 これはいったい。

 なんて、凄い、音楽なんだろう。

 

 八村義夫氏の著作《ラ・フォリア》の中で松村禎三先生がこんなことを述べたと記している。「ぼくは砂漠に巨大なphallusが立っているような音楽を作りたい。」当時の僕はそのことも知らなかったが、そびえ立つ巨大で圧倒的な存在、八村氏の言葉を借りれば「音響化された精神」がそこにはあった。
 僕は作品の虜になってしまった。サイバーバードは飛び去っていた。

 

 2008年、音楽大学の学生になり念願だった吉原すみれ先生に師事することになった。学生になってはじめての夏休み、すみれ先生が演奏するチラシを見つけた。「アプサラス第一回演奏会」と銘打たれ、そこにはもう今生の人でなかった松村禎三先生の業績を讃える会であることを知った。耳の奥に一年前に聞いたあの響きが蘇ってくる。しかもすみれ先生の演目は《ヴィブラフォーンのために》という独奏曲だ。あの松村先生がヴィブラフォンのための作品を遺されていたなんて、と感激した。
 東京文化会館小ホールは上京したての僕にはいつも巨大に感じられた。どんな響きが待っているのだろう。

 そこで僕は再び、松村禎三、という音響化された精神に出会った。

 自身も短歌を読む松村氏の三橋鷹女という俳人への敬意を感じるだけでなく、日本語の繊細な描写がヴィブラフォンによって表現されていく。僕はヴィブラフォンがこれほどまで表現力を持った楽器であることをその時初めて知った。

 翌日すみれ先生にお願いした。「この作品を、演奏させてください。」

 

 2010年12月、日本現代音楽協会主催の競楽Ⅸ、本選会。
 松村禎三先生の遺したヴィブラフォンの作品を、ヴィブラフォンを多くの人に知ってほしい。ただその一心だった。それが僕にとっての演奏家としての、デビューとなった。あれから約10年の月日が流れようとしている。

 2011年にはサントリーホールでのデビューとなったレインボウ21でこの作品を演奏し、奥様であられる松村久寿美さんにご来場いただいた。演奏会の尺は長いものだったのだけれど、久寿美さんは最後まで聞いてくださったばかりか、ロビーでお目にかかることもでき、「松村の作品を演奏してくださり、ありがとうございます。」と勿体無いお言葉までかけてくださった。久寿美さんと握手した感触は忘れられない。

 

 松村禎三先生にお会いすることは叶わなかった。

 けれども常に先生の作品が傍にあるように思える。音響化されたその精神に触れる時、いつも襟を正す。自分を見失っていないか、自分をもっと高めていかなければ。松村禎三先生の作品に触れるたび、いつも思う。

 

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