會田瑞樹の音楽歳時記

打楽器奏者、會田瑞樹の綴る「現代の」音楽のあれこれ。

2/10第一生命ホール14時開演:水野修孝作曲《マリンバ協奏曲》30年ぶりの再演によせて

 まだ大学生だった頃、音楽評論家・プロデューサーである西耕一さんからある音源をいただいた。

 風鈴が鳴ると、微かにマリンバが聞こえてくる。オーケストラが濃密にクラスターを奏でるとごそごそと断片が集まってくる…打楽器の咆哮!そしてカオスティックに音群は極限まで高められて…

 興奮してその夜は眠れなかった。いつかこの音楽を演奏したい。作曲、水野修孝、マリンバ、高橋美智子による《マリンバ協奏曲(1980)》との出会いだった。

 高橋美智子先生に勇んでその興奮を伝えた、僕も演奏したいです!当時大学生の僕にはなんの可能性もなかったが、夢だけはいつも大きかった。そんな僕に美智子先生はいつも優しく、こう答えてくださった。

 「私の委嘱した協奏曲はすべて武蔵野音大図書館に寄贈しているから、いつでもできるわよ。いつか、演奏してね。」

 ある時、美智子先生と一緒にこの協奏曲の音源を聴いたことがある。

 「このリズムの複雑な絡み合いやジャズの語法は、水野さんだから書くことのできた立派なものよね。」

 美智子先生は初演時の様々な苦労をお話ししてくださった。特に、カデンツァは当時結成していた打楽器アンサンブルのメンバーを加えて、強力な態勢で臨んだことを、熱く語ってくださった。

 

 大規模な協奏曲の初演、再演は本当に難しい。手応えを得た初演が再演に結びつくには、多方面からの努力を必要とする。まして、打楽器のための協奏曲を取り上げるということは、プロオーケストラにとっても、”冒険”かもしれない。それでも、僕は打楽器協奏曲がヴァイオリンやピアノのための協奏曲のように当たり前に演奏される未来が来ることを諦めたくはない。

 ヴァイオリンやピアノが独奏楽器として確立したのは、ほかならぬ協奏曲の存在があったからだと僕は思う。独奏では得ることのできない豊穣な響きがそこにはある。加えて、独奏者とは(語弊を恐れず申し上げるならば)ある種の、異物、でもある。オーケストラという強力なチームの中に、混入、していく。混入から、対峙へ、いつしかそれは対話となり、劇的な展開をみる。そうしていくつもの名演奏と名作が生まれて来た。

 

 1980年に初演された水野修孝作曲のマリンバ協奏曲は、二度目の再演以降、表舞台から姿を消した。その存在すら遠い歴史に押し込められて来た。

 二度目の再演の音源がfontecの「現代日本の作曲家」シリーズの中で水野修孝が取り上げられ、その音源が何十年の沈黙を破って出現した。それはとても喜ばしく、今を生きる僕たちにとって多くの示唆をもたらした。

 

 文化を消費から、昇華へ。

 振り返る暇もなく突き進むだけでなく、文化は未来へ昇華するはずだと、僕は信じたい。

 

 高橋美智子先生と、新作を演奏することについて意見を交換したことがあった。

 「新作は、三度、演奏することが大事よね。一度目は、作曲家の都合もあるから、極端に締め切りギリギリになったりもするから、舞台に上げること、演奏家はそれだけで精一杯だと思う。二度目の演奏で、作品の持つ意味が半分ほど、理解できるかもしれない。三度目の演奏で、その作品が、未来に残るか、残らないか。演奏家も判断できると思うの。」

 

 小出英樹さん率いる、弥生室内管弦楽団から、水野修孝作曲の《マリンバ協奏曲》を上演したいというお話をいただいたとき、この演奏が「三度目」になることに僕は気がついた。

 1980年の初演、再演を経て、作品は一度深い眠りについた。図書館から再び楽譜を呼び起こした時、写譜上の問題点など、様々な書き込みがそこにはあった。水野修孝先生立会いのもと、一つ一つをクリアしながら、今回演奏するのは極めて初稿の形に近い、原典に基づく上演となる。

 小出英樹さん率いる、弥生室内管弦楽団の皆さまには様々な点でお力をお借りしながら、打楽器アンサンブルのメンバーには、僕の”クセ”までも熟知してくださる、古川玄一郎さん、千田岩城さん、斎藤綾乃さん、小林孝彦さん、鈴木孝順さんをお迎えした。極めて高度な変拍子のアンサンブル、そして強度あるパッセージをこの方々と演奏したいと思った。全ての方々に感謝の思いでいっぱいです。

 

 30年の眠りから覚めるこの音楽。

 どうかご来場を心からお待ちしております。

 

 

 2019年2月10日(日)

 14時開演 第一生命ホール

 弥生室内管弦楽団第50回演奏会

 https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=1850915