會田瑞樹の音楽歳時記

打楽器奏者、會田瑞樹の綴る「現代の」音楽のあれこれ。

国際交流基金アジアセンター主催:NOTESによせて

 遭遇。かつて日本の作曲家、石井眞木(1936-2003)が提唱していたその言葉は僕の中で幾度となく響きました。東洋と西洋の文化が「遭遇する」という思考は、隷属的な意味を持つ「融合」とは一線を画す新たな意味を持つ言葉と僕は確信します。そしてこの言葉は「NOTES」プロジェクトの大きな核となる言葉だと思うのです。

  

 互いの接点は皆無に等しく、生まれも育ちも価値観も、まして国籍や言語も異なる7名の始まりの表情はさながらウブな少女のような面持ちでした。僕は慣れない英語で唇は滑り、本当に彼らとコミュニケーションをとることができるのだろうかという不安はただ増すばかり。このまま黙っていることの方がいいのではないかと思ったとき、僕はいつのまにかマレットを手にしていました。「この日本民謡を聞いてほしい。」それは間宮芳生(b.1929)作曲の「雨乞い歌」でした。そこから、Wellyのガムラン演奏に発展した時、僕は感激したのでした。今まで抱いていた金属打楽器のイメージを大きく覆す繊細な演奏。金属打楽器の持つ余韻を徹底的にコントロールしたWellyの演奏に大きな波動を感じ、すぐさま僕はそこに使っている音列「スレンドロ」を取り出し、そこから即興演奏が開始されていきました。自然に金子さんの箏が加わりなにか聞いたことのないような、たどたどしくも初々しい響きは、かつて原始の音楽はこうして生まれたのではないかという叫びにも似た時間が広がったのでした。

 僕は、特に疑問を持つまでもなくGigihやWelly、Ariefが紡ぐ何気ない旋律の断片を五線紙上に取ることを始めていました。多くはスレンドロ音階を使用するため、へ短調変ロ短調が主ではあるものの、そこには様々なリズムバリエーションが存在し、それらはヴィブラフォンのテクニックにとっても重要な要素でした。またそれらを複合的に演奏することによって偶発的に生み出される「対位法」は実に複雑であり、かつてパリ万国博覧会ガムラン演奏を聞いて多大な衝撃を受けたドビュッシーのその意味の重さを改めて実感することになりました。

 

 いくつかの、偶発的に、誰がはじめるでもなく自然と始まる即興演奏を重ねるうちに、そのほとんどがへ短調もしくは、変ロ短調に落ち着いていることが僕はとても気になり始めました。その時、Ariefが急に思いついたかのようにヴィブラフォンの前に立ちました。

 「君たちの声が半音階的に聞こえるんだ。」

 これは興味深いことでした。ほとんど意識したこともない自分自身の音声は、もしかすると半音的な「うねり」を伴っているのかもしれないという気づき。そして時折3人が会話するインドネシアの言葉のおおらかな響きは、全音的と考えた時、この即興にいろいろな味わいを生み出すことができるのではないかと感じるようになりました。

 

 各人のワークショップが開始されると、なぜかふつふつと疑問が湧きました。スタジオにいることはもちろん大切だけれど、もし自分がインドネシアに行った時に、ずっと窓もなく白い壁に囲まれた閉そく感あるスタジオに監禁されたくないと僕は思いました。なにより、音楽はお客様のためにあるということを僕は信じます。よって僕は、ワークショップとして会場近くの「第五福竜丸記念館」を見学することに決めました。開始前に、以下の拙い英文を述べました。

How do you feel Japan ?

I think all of artist need to have “Imagination.”

And,We must forget to many big problem held in Japan or All over the world.

But,I can’t do it anything else.

But,I can play or make the music.

We have to work on the society.We should get Inteligence.

Today,Let’s Go !!

  およそ拙いこの英語を使いながら、言語とはなんと難しいものなのだろうと思わずにはいれませんでした。Ariefが何気なく、「この箏はどこの産地なんだい?」と聞いた時、金子さんが「福島だよ。」と答えた時、Ariefの叫びにも似た大きな声!いかにこの国が大きな問題を抱えているのか、いつか話し合いたいと思いながらも、まだなかなか話題にすらできない、無力な自分を感じていたのでした。でも、なぜか僕は同時にこう思っていました。

        「なるように、なるさ。(Naruyouni-Narusa ! )」と。

 

 彼らの音楽の断片はかなりの数になり、今後《ヴィブラフォンのためのエチュード》を作曲することを決めました。それは10月には五線紙として表記をし、作曲者自身によって初演しようと思います。
 それというのも、ある時から即興演奏にちょっとしたほころびが見え始めてきたのでした。手段だけでなく方法にも少し無理が生じてきたことは、音楽の難しさを痛感することでした。五線紙の表記というのはあくまでコミュニケーションの道具の一つであり、遠く去っていった人々の残した音楽を再び響かせるための「手段」であると改めて感じたのです。

 

 東京都内の観光は、彼らのキラキラした表情が印象深く残ります。浅草の力強い響きや東京スカイツリーの夜景はどんな風に彼らの目に映っているのだろう。長い旅を経ての移動の最中に、突如勃発した小さな会議は僕の目には奇異に移り、ふとニュースに目をやった時「日本・インドネシア国交60年」という文字が飛び込んできたのでした。

  The close friendship and cooperation between Indonesia and Japan is well reflected in the “benang merah” (red string of fate) or “akai ito” philosophy that symbolizes heart-to-heart relationship based on mutual trust and respect, to work and cooperate together as equal partners.
 The “akai ito” or the red string of fate that connects the two countries, may be stretched or tangled in times, but it will never break. It is my utmost belief that Indonesia and Japan are destined friends who will work and walk together towards our common future.

 インドネシアと日本の友好と協力の緊密さには、「ブナン・メラ」、日本語では「赤い糸」の哲学が反映されています。それは、対等なパートナーとして協力していくため、相互理解と相互信頼の原則に基づいた心と心の関係を表しています。
 両国を結ぶ「ブナン・メラ」もしくは「赤い糸」の絆は、今までに、もつれたり、絡まったこともありました。しかし、互いに尊敬し合い、誠実な心から生まれた両国の友好と協力に鑑み、私は、この友好の絆は決して切れることは ないと信じています。私は、インドネシアと日本は、将来に向けて共に働き、 共に前進する心と心の友人であると信じています。

Jakarta, 20 January 2018

PRESIDENT OF THE REPUBLIC OF INDONESIA,

JOKO WIDODO

 

 JOKO大統領の言葉にある「benang merah」という言葉は僕の中で強い響きを残しました。彼らにこの言葉はどんな意味を持つのか、様々に尋ねました。いわゆる「プロセス」を意味するんだというAriefの言葉や、Gigih、Wellyの優しい表情とともに響く「benang merah」という言葉はなにかともしびのように暖かく響き渡るのでした。そして京都の初日、スタジオに入りGigihが何気無く紡いだピアノのフレーズに、ヴィブラフォンと、金子さんの箏が響き渡ったとき、ニ長調ロ短調の、シャープな響きが初めて浮かび上がってきました。それは確実に、この遭遇が新しいものを生み出すことを確信する響きだったのです。

 

 京都ではスタジオの時間以上に、一人一人のことを知る共同生活の夜の、他愛もない会話が印象に残ります。毎日の料理を木皮さんは懸命に作ってくださり、そのどれもが繊細に行き届いたもので全員が舌鼓を打ちました。あまり飲まないとおっしゃっていた宮内さんは日増しに様々なお酒を飲まれるようになり(それというのも僕や、Welly、Arief、そして金子さんで結成した酒飲みブラザーズのHotHotな喧騒のせいでしたが)そんな中で例えば福島のことも会話したり、自分自身が音楽についてどう思うか、今日のセッションは良かったかどうか、真剣な議論を重ねることもありました。特にGigihは龍安寺に心から感銘を受けたようで、なんどもハグされました。Wellyは本国の大切な友人のために様々な日本のお酒を吟味し、雪に歓喜する姿が忘れられません。Ariefは大切な妹さんのために素敵な帽子を探し回りました。そして、嵐山の竹林の、壮大な交響楽…

 その夜、Gigihと真剣に討論しました。これまでの即興演奏の数々の総評、インドネシアの現代音楽作曲家、Slamet Abdul Sjukurの作品や武満徹伊福部昭などの日本の作曲家の作品の様々な魅力や個性を語り合いました。Gigihに対して、僕の思う遭遇、すなわち「Encounter」の思いを述べ、彼は熱心に聞いてくれた後、さらにそこから、彼は僕らはさらにこの経験を通して「Reflect」することができると熱く応えてくれたのでした。

 本日、成果発表を京都で行い、今後のさらなる方針が企画されていきます。
 多くの方々のご支援、ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願いいたします。


會 田 瑞 樹
Mizuki Aita 2018.1.26,Kyoto