會田瑞樹の音楽歳時記

打楽器奏者、會田瑞樹の綴る「現代の」音楽のあれこれ。

二つのバンドの可憐な復活

 いよいよCD制作の作業が佳境に入ってきた。多くの方の手元に届くまでここからが正念場である。発売時期などが決定次第、ここでも是非ご報告したい。
 音楽はいつも、「時間」と密接に関係していると常々感じている。呼吸や心臓の鼓動までもそこには息づいているかのようだ。僕が小学生の時に夢中になったバンド「レベッカ」もまた「酸欠ライヴのレベッカ」の異名を取るほど、コンサートでの密度あるパフォーマンスに定評があったそうだ。

 それだけに一昨年の「レベッカ」復活は僕にとっては20年待った待望のライヴだった。横浜アリーナの際はチケット抽選に漏れ、半ばあきらめかけていた時に追加公演のさいたまスーパーアリーナへの切符が手に入った時には歓喜した。一曲目からNOKKO空中ブランコパフォーマンスとともに《SUPER GIRL》で幕開けした時に、この歌詞に登場する主人公と二人の友人、そしてNOKKOのふるさとであるさいたまの土地が呼応し合って、柄にもなく涙が止まらなくなった。歌詞は時を越えて、また新たな意味合いを持ったのだ。

 昨年のTHE YELLOW MONKEYの仙台公演でも同じ事を感じた。
 《球根》は彼らの出世作の一つでもある。当夜この楽曲の演奏の際には派手なスクリーン等の演出を避け、歌詞が直接的に響く演出が施されていた。曲が熱を帯びるにつれ、数年前この場所で起きた事を僕は突然思い出していた。

 時を越えて音楽が持つ意味は様々。二つの大好きなバンドから学ぶ事はいまも大きい。