會田瑞樹の音楽歳時記

打楽器奏者、會田瑞樹の綴る「現代の」音楽のあれこれ。

《ニュース・リリース》會田瑞樹2017「ヴィブラフォンとともに歩む」

 昨年末にはNHK-BSプレミアム「クラシック倶楽部」において會田の演奏を一時間に渡り特集した「打楽器百花繚乱 Percussion Extraordinaire -Mizuki Aita-」が放送され、更なる飛躍が期待される會田瑞樹の2017年活動計画をご紹介致します。

☆ 2017年6月4日(日)13時30分開演/京都コンサートホール(大)
アンサンブルフリー第25回演奏会
 関西を拠点に活動するオーケストラ「アンサンブル・フリー」より招聘を受け、薮田翔一作曲《Gush -Concerto for Vibraphone and Orchestra-》を世界初演致します。

アンサンブル・フリー|コンサート/公演/リサイタルのチケット情報・販売・購入・予約|e+(イープラス)

☆ 2017年6月7日(水)19時開演/京都青山バロックザール 
(公財)青山財団助成公演
會田瑞樹ヴィブラフォンソロリサイタル in Kyoto ー約束の場所でーhttp://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=1701452

☆ 2017年8月5日(土)14時開演/エルパーク仙台・スタジオホール
會田瑞樹ヴィブラフォンソロリサイタル in Sendai ー出会いの場所でー

會田瑞樹ヴィブラフォンソロリサイタル in Sendai|コンサート/公演/リサイタルのチケット情報・販売・購入・予約|e+(イープラス)

☆ 2017年10月26日(木)19時開演/杉並公会堂小ホール              會田瑞樹ヴィブラフォンソロリサイタル ーはじまりの場所でー
會田瑞樹ヴィブラフォンソロリサイタル2017|コンサート/公演/リサイタルのチケット情報・販売・購入・予約|e+(イープラス)

 

プログラム(予告なく変更の場合があります)

三公演共通プログラム

間 宮 芳 生 作曲(b.1929)

《Music for Vibraphone and Marimba》(2016/會田瑞樹委嘱/世界初演

山 根 明季子 作曲(b.1982)

《glittering pattern ♯2》(2017/會田瑞樹委嘱/世界初演

稲 森 安太己 作曲(b.1978)

《花束》(2017/會田瑞樹委嘱/世界初演

清 水 一 徹 作曲(b.1976)

《Camera obscura for Vibraphone solo》(2017/會田瑞樹委嘱/世界初演)

 

東京・京都公演演奏曲

湯 浅 譲 二 作曲(b.1929)

《ヴァイブ・ローカス》(會田瑞樹2015年委嘱新作)

薮 田 翔 一 作曲(b.1983)

《Billow Ⅱ》(2015、會田瑞樹献呈作品)

権 代 敦 彦 作曲(b.1965)

《光のヴァイブレーション》(會田瑞樹2016年委嘱新作)

 

仙台公演演奏曲

白 藤 淳 一 作曲(b.1981)

《あやかしの余韻》(2017/會田瑞樹委嘱/世界初演)

田 口 和 行 作曲(b.1982)

《ヨイスラ綺譚》(2017/會田瑞樹委嘱/世界初演)

Carlos Gardel 作曲(咲 間 貴 裕 編曲/b.1972

《El Dîa Que Me Quieras 〜思いの届く日〜》(1935/2015/世界初演)

 委嘱作曲家として戦中世代の作曲家として最高齢の旗手のひとりである間宮芳生氏、ドイツを拠点に活躍し続ける稲森安太己氏、音を視るコンセプトを掲げポップな毒性をはらむ女流山根明季子氏、堅実に一作一作を重ね独自の闇の表現に到達する清水一徹氏、以上4氏の作品を一年に渡って取り上げ、細部まで掘り下げた演奏で作品の多彩な魅力を引き出します。
 また仙台公演では奄美大島に伝わる民謡をモチーフでヴィブラフォンのための美しい歌を紡ぐ田口和行氏、ヴィブラフォンの煌めきを引き出す白藤淳一氏、仙台市出身でブエノスアイレスにおいて作曲を学んだ咲間貴裕氏を迎えて、さらにヴィブラフォン音楽の多彩な魅力を伝えます。
 同時に、自らが初演した作品の再演を徹底的に掘り下げる事を意識し、京都・東京公演では薮田翔一、湯浅譲二、権代敦彦各氏の再演を重ね作品の深い魅力に激しく迫ります。
 此の度の公演は、京都、仙台、東京の3つの都市で行うことで幅広い聞き手にヴィブラフォン音楽の魅力を伝える事を意図しております。ヴィブラフォン独奏という未知の領域の拡大がここまで進行している事、そして音楽的に充実したものが展開されていることを広く認知してもらうことを強く希求致します。

 

2017年6月7日(予定)
會田瑞樹セカンドアルバム「ヴィブラフォンのあるところ」ALMコジマ録音より発売。
 全曲ヴィブラフォン独奏作品、會田瑞樹委嘱作品によるヴィブラフォン音楽の新たな地平を辿ります。

Chapter Ⅰ 軌 跡                            

1、Billow 2(2015)/薮田翔一

2、Luci serene e chiare(1596/2016)/カルロ・ジェズアルド(白藤淳一編曲)

3、Music for Vibraphone(2014/2016)/渡辺俊哉

4、華麗対位法 Ⅲ-2 by Marenzio(2015) /横島浩

5、ヴァイブ・ローカス(2015)/湯浅譲二 

Chapter Ⅱ 超 越                            

6、Wolverine(2014)/川上統

7、color song Ⅳ -anti vibrant-(2014)/福井とも子

8、海の手 Ⅲ(2016)/木下正道

9、光のヴァイブレーション(2016)/権代敦彦

10、夢見る人(1701/2016)/ マラン・マレ(會田瑞樹編曲)

 本年も會田瑞樹の活動にご期待ください。

二つのバンドの可憐な復活

 いよいよCD制作の作業が佳境に入ってきた。多くの方の手元に届くまでここからが正念場である。発売時期などが決定次第、ここでも是非ご報告したい。
 音楽はいつも、「時間」と密接に関係していると常々感じている。呼吸や心臓の鼓動までもそこには息づいているかのようだ。僕が小学生の時に夢中になったバンド「レベッカ」もまた「酸欠ライヴのレベッカ」の異名を取るほど、コンサートでの密度あるパフォーマンスに定評があったそうだ。

 それだけに一昨年の「レベッカ」復活は僕にとっては20年待った待望のライヴだった。横浜アリーナの際はチケット抽選に漏れ、半ばあきらめかけていた時に追加公演のさいたまスーパーアリーナへの切符が手に入った時には歓喜した。一曲目からNOKKO空中ブランコパフォーマンスとともに《SUPER GIRL》で幕開けした時に、この歌詞に登場する主人公と二人の友人、そしてNOKKOのふるさとであるさいたまの土地が呼応し合って、柄にもなく涙が止まらなくなった。歌詞は時を越えて、また新たな意味合いを持ったのだ。

 昨年のTHE YELLOW MONKEYの仙台公演でも同じ事を感じた。
 《球根》は彼らの出世作の一つでもある。当夜この楽曲の演奏の際には派手なスクリーン等の演出を避け、歌詞が直接的に響く演出が施されていた。曲が熱を帯びるにつれ、数年前この場所で起きた事を僕は突然思い出していた。

 時を越えて音楽が持つ意味は様々。二つの大好きなバンドから学ぶ事はいまも大きい。

私的なオザケンの思い出

 数年前、ビートボクサーの大会『音霊感覚』の審査に招かれたときの事だった。いくつかの楽節の後に、突然刹那的な旋律が聞こえてきた。
          “ダンス・フロアーに、華やかな光...”
 僕はそれだけで、いっぺんに信じきってしまった。懐かしい音楽だと思った。僕の血液の中にこの旋律は確かにあって、それは肉感的に迫るものだと思った。けれど、この曲が誰の音楽だったか、どうしても思い出せなかった。

 今年、鮮烈的に小沢健二がカムバックした。僕自身も驚いた。特に、2月という荒涼としたその時期を選ぶのがオザケンらしいと思った。朝日新聞には大々的に広告も打たれたという情報を得て、その音楽がどんなものか気になって仕方なかった。

 オザケンの音楽を手元に置いたのは、小学生のときだった。
 8cmのシングルCDで、《大人になれば》という歌。
 ジャラ銭の小遣いを集めてこれがほしいと言った時、同伴していた親父が「お前はオザケン聴くんだ。」と言った事をぼんやり覚えている。
 ピアノトリオの編成で描かれる、大人になったらこんな自分でいたいという願望のような、諦観のような音楽を小学生の僕がどうして好んだのか。未だに自分自身も実感がない。でも、この歳になって改めてこの音楽を聴くと、結局僕はなにも変わっていないんだなということを実感する。背伸びしながら、ブルースを聴くのは小学生の僕も、打楽器奏者の僕も変わりがない。
 恐れ多い話だけど、オザケンもきっと背伸びしながら表現していったのに違いない。だから、心のひだに妙に引っかかる。

 何十年も経って、オザケンの新曲《流動体について》を手に取った僕。確かに、「夢で見たような、大人」にはなったのかもしれないね。「間違いに気がつく事」は確かに、数年前にはあったよ。けれど、「宇宙の中で良い事を決意する」自分にはまだなれていないのかな。そして、彼が《今夜はブギーバック》を紡いだ音楽家であることに僕は気がつく。《大人になれば》と、小学生の僕に夢を問いかけた彼と何も変わりはなかった。たぶん、それが流動体なんだろうな、と思ったりした。




 

《告知》3月12日(日)朝8:10よりNHK-FM「現代の音楽」

 前回の「現代の音楽」ではリゲティ作曲《アヴァンチュール》が放送された。放送をお聴きになった方でも、その過激なナンセンスぶりと奇天烈なユーモアに様々な感情を抱かれた方も多いと思う。ラジオ特有のノイズや観客席の様々な音までもが融解して音楽になっている不気味さを体感しながらの朝であった。

 僕は同時に、ラジオの魅力に改めて感じ入った。かつてサントリーの提供で放送していたラジオ番組「アヴァンティ」は特にお気に入りだった。日常の耳の中に闖入して、まるでバーの中に迷い込んでしまった感覚をくれたその番組は小学生だった僕に大人の世界の煌びやかさを教えてくれたのだった。

 12日には引き続き「現代の音楽」で《ヌーヴェル・アヴァンチュール》が放送される。この作品は《アヴァンチュール》より過激で可憐だ。リゲティはおそらく「やりたりなかった」に違いない。当日の客席の声も含めてどんな録音となったか楽しみでならない。もしよかったら、大音量で聴いて頂きたい、最後まで。

 この時演出を務められた、大岡淳さんの指示で僕自身も演出の中に加わっている。リハーサルの度に転ぶので膝はアザだらけになった。ゲネプロに立ち会ってくださった末吉保雄先生は「芝居と音楽の橋渡しの役割を担ったね。」とおもしろがってくださった。さらに人形使いの小原美紗さんによる人形はラジオでは観る事は出来ないが、想像力を搔き立てて「感じて」頂きたい。かつて小学生の僕が、バー「アヴァンティ」に迷い込んだときのように...

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《告知》3月5日(日)朝8:10よりNHK-FM「現代の音楽」

 昨年12月に開催された日本現代音楽協会主催「ジェルジ・リゲティ没後10年によせて」がNHK-FM現代の音楽」で二週に渡って放送される。會田は《アヴァンチュール》《ヌーヴェル・アヴァンチュール》に参加しており、5日は《アヴァンチュール》が放送される。この2曲は演出入りで演奏したのだが、ラジオだとどんな風に伝わるのか個人的に興味津々。

 《アヴァンチュール》という強烈なタイトルはなにか深い意味があるのかと思っていたのだけれど、「言葉の響きが良かったから」名付けたという話を曲目解説で読み、ますますリゲティという人に興味を抱いた。稽古中にはこの楽譜のある部分が八村義夫氏の作品《一息ごとに一時間》と重なり合う部分があり、中川俊郎先生と大いに盛り上がったりした。冒頭のピアノの内部奏法を新垣隆さんと僕で担当したことも、中川先生はやたらとツボに入ったらしかった。ずっと笑っていた。それがなんだか嬉しかった。


 「なぜ現代音楽を演奏しているのですか?」と質問を受ける事が以前あった。
 「現代」という線引きはなかなか難しい。数十年前の音楽書は「バルトーク」以降はすべて現代の音楽だと著述しているものも少なくはないのだから。

 学生時代、「會田は朝から八村義夫とか聴いているんでしょう?」と言われた時には思わず苦笑いしたものだった。「彼の曲は朝聴くような曲じゃない。それよりも(その当時流行っていた)AKB48の《Beginner》は良い曲だね。」などと返答すると、向こうが困惑する事もしばしばあった。

 僕にとっては、八村義夫リゲティも、AKB48やつい最近買ったオザケンも同じ線上にあると思うし、音楽の多彩な側面をそこに感じている。それでは、日曜朝8時10分にNHK-FMでお目、いやお耳ににかかりましょう。

 

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開設のご挨拶

打楽器奏者として、ひた走り続ける中で様々な事を考えます。

そしていろいろな問いかけを頂きます。考える事もたくさんあります。

 

なにか文字に起こしてみるべきではないだろうかと思うようになりました。

音楽を通して考える事、そして僕自身が出演する演奏会、

様々な事をここでお伝えして参ります。

 

何卒、ご贔屓に。それでは開演です。

 

會 田 瑞 樹   2017.3.3