會田瑞樹の音楽歳時記

打楽器奏者、會田瑞樹の綴る「現代の」音楽のあれこれ。

Mizuki AITA《Chant/Sutartinés》Program Note

About the Piece/Mizuki AITA

"Chant/Sutartinés" was composed with the special performance "THE PATH OF CH. SUGIHARA" of St. Christopher Chamber Ensemble held in Vilnius, Lithuania on October 8, 2020. In December 2019, the music director of the orchestra, Modestas Barkausukas, received an offer to come to Lithuania again as a guest for the concert with the theme of Chiune Sugihara. It was an unexpected joy. I begged not only to play right away, but also to devote one song to myself. In honor of Chiune Sugihara's 120th birthday, I wanted to write a song in the hope that I would like to convey the will to the next generation and further friendship between Lithuania and Japan.  
The work consists of three parts.  
“Chant I” is a double copy of the medieval melody 《Dievo Motina Mergele》 transmitted to Lithuania and 《Dirahon》 sung as a witchcraft revived in Aogashima, Tokyo. It is intended to exude the melody of the Virgin Mary and the aya of two songs with a mourning spirit.  
In “Chant II”, the vibraphone player calls out the name of each orchestra and plays each phrase in response to it. Eventually, the swell reverberates into a big wave. The act of calling for a name is intended to remind us of the act that Sugihara Chiune himself issued visas to many people.  
”Chant III” is based on the Lithuanian traditional singing style “Sutartinés”, resulting in a festive grand circle while quoting Japanese Bon Odori verses.  
After composing, I would like to thank Koichiro Oguni for his wonderful pure books.  Throughout this work, I continued to pray for the friendship between Lithuania and Japan, and the countries of the world, accepting and understanding the diverse values of each other, holding hands together, and strengthening permanent peace. It is a desire.
I would like to dedicate this work to the conductor and orchestra music director Modestas Barukausukas and Saint Christopher Chamber Ensemble.
Again I believe that we can meet again.

 

 作品について/會田瑞樹
 《Chant/Sutartinés》は2020年10月8日にリトアニア・ヴィリニュスにおいて開催される聖クリストファー室内合奏団特別公演「THE PATH OF CH. SUGIHARA」での上演を念頭において作曲した。2019年12月に楽団音楽監督である指揮者Modestas Barkausukasより、杉原千畝をテーマとした演奏会にゲストとして再びリトアニアに来て欲しいという申し出を受けた。それは望外の喜びであった。私はすぐさま演奏だけでなく、自らも一曲を献呈したいと懇願した。生誕120年となる杉原千畝の功績を讃え、次世代にその意志を伝えること、そしてリトアニアと日本両国のさらなる友情を願って作曲をしたいと思った。  
 作品は三つの部からなる。
 “Chant Ⅰ”はリトアニアに伝わる中世の旋律《Dievo Motina Mergele》と東京都青ヶ島に伝わる死者を蘇らせる呪術として歌われた《でぃらほん》が二重写しとなる。聖母マリアを思う旋律と、弔いの精神を持つ二つの楽曲の持つ綾が滲み出ることを意図している。  
 “Chant Ⅱ”はヴィブラフォン奏者が映像上では楽団員一人一人の名前を書き、査証の際に必ず聞く音を思わせる大きな印判を押す。それに呼応する形で奏者はそれぞれの楽句を奏でていく。やがてそのうねりは大きな波となり響き渡る。名前を書くという行為は杉原千畝自身が多くの人々にビザを発給し続けたその行為を追憶する意図を持つ。  
 “Chant Ⅲ”はリトアニアの伝統的な歌唱形式”Startinés”を基に、日本の盆踊りの楽句を引用しながら祝祭的な大団円へと帰結する。  
 この作品を通して終始願い続けたのは、リトアニアと日本の両国の友好、そして世界のそれぞれの国が、相互の多様な価値観を受け入れ、理解し、共に手を取り合って、恒久的な平和を強く希求する思いである。  
作曲ののち、小國晃一郎さんによる素晴らしい浄書のお力を心からの感謝を申し上げたい。
 この作品を指揮者であり楽団音楽監督であるModestas Barukausukasと聖クリストファー室内合奏団に献呈したい。再び私たちは巡り会うことができると私は信じてやまない。

 

10月9日深夜1時より開演。

youtu.be

 

西耕一さんのこと

 2010年12月、競楽Ⅸ本選会。プログラム最後に演奏を終えて、真っ先に声をかけて来た方が西耕一さんだった。その後いただいたはじめてメールにはこんなことが書いてあった。
「…現代作品を演奏する打楽器奏者は多いですが、會田さんは一味違った選曲をしてくれそうで、期待しております。(中略) 會田さんの、まるで松村先生が憑依したような演奏は完全に会場を虜にしていました。(後略)」  

               「憑依型」

 西さんは開口一番僕にそう言ったのだった。そしてその場にいた聞きに来ていた友人と僕の母はどっと、笑い出した。母に言わせると、西さんのあの一言でなんだか彼をいっぺんに信じ切ってしまった、と笑う。  

 当時西さんは音楽現代(現代芸術社刊)に音楽評論を寄稿し、都内の何らかの演奏会に行けばお目にかかることができた。何度か立ち話やメールをしているうちに、日本現代音楽の振興と埋もれた作品に再び光をあてることを強く希求されていて、そのビジョンは僕と一致していた。吹奏楽による「奏楽堂の響き」シリーズプロデュースも手がけて、様々な日本の作品を蘇演、委嘱も幅広く、細身の身体でよくこれだけの大事業を成し遂げているものだと僕は感心しきりだった。そんな西さんに翌年サントリーホールで開催した僕の初めての企画公演、レインボウ21「打楽器音楽、その創造と継承」にもご来場いただき、後日じっくりと総評いただいた。また現在も熱くお付き合いが続くWINDS CAFE主宰の川村龍俊氏をご紹介くださり、年に一度のWINDS CAFE公演は互いの主戦場の一つとなっている。2012年開催の「八村義夫の世界」や第一回目となるヴィブラフォンリサイタルも企画段階から相談に乗ってくださった。当時会場にいらした楢崎洋子先生からのメールにはこんな一文が残っている。「西耕一さんは強力な協力者ではないですか。」

 
 2012年の八村企画を終えた頃に、「ラウダやるぞ。」と突然のメール。夢にまで見た伊福部昭作曲《ラウダ・コンチェルタータ》をピアノ伴奏版で復活させるという。今でこそ譜面の入手は容易いけれど、当時は出版社や日本近代音楽館へ問い合わせて散逸した資料をつなぎ合わせた。その一つ一つの作業が今となっては僕の糧だ。そうして稽古を積み、西さん企画による2013年伊福部昭生誕99年白寿コンサートを敢行。杉並公会堂から人が溢れるほどにお客様が詰めかけ熱狂の渦の中での演奏会だった。この白熱のライヴ公演のディスク(3SCD-0014)が僕の実質のデビューアルバムでもある。休む間も無く同年八月には松村禎三先生の業績を讃えるアプサラス第4回演奏会で松村先生の遺した子どものための作品を一堂に会した演奏会(3SCD-0020)、九月にはオーケストラ・トリプティーク第二回演奏会「日本の弦楽オーケストラ傑作集」(3SCD-0017)を手がけ、鹿野草平作曲《ヴィブラフォン、金属打楽器と絃楽のための協奏曲》で僕は人生初めてのソリストデビューを果たした。以上全ては西さんのプロデュースによるものだった。終演後西さんは「會田をソリストデビューさせることが目標だった。これで俺の役目は終わったのだ。」と上機嫌に、でも少し寂しそうに語ったのをよく覚えている。
 

 この公演を境に、僕と西さんはそれぞれの主戦場に赴くこととなった。当時の僕は留学を考えないわけでもなかった。ソリストデビューのあとは悩みに悩んだ一年を過ごした。それは六年間の学部と修士課程を終える刹那的な時間でもあった。一方の西さんは前述のオーケストラ・トリプティークのさらなる拡張を目指し、団長の伊藤美香さんと共に奔走していた。その姿は羨ましくもあり、同時に励みになった。これだけのことを成し遂げていくエネルギーは一体どこから来るのだろうと思った。そしてそれを、どんな形であれ見続けていたいという興味が尽きることはなかった。  
 僕は自然と日本での演奏活動を決意し、2014年4月からフリーランスとしての歩みをスタートさせたのだった。以降の小生の活動はプロフィール欄を参照してほしい。  

  時は経ち2020年春。世界が大きく揺れ動く中で西さんに連絡をした。「新しい、4枚目のアルバムは西さんとやりたいです。」西さんが「憑依型の演奏」と僕を評してから10年の月日が経とうとしていた時だった。

會田瑞樹ヴィブラフォンソロリサイタル2020 いつか聞いたうたのチケット情報(2020/11/2(月)) - イープラス

楢崎洋子先生を偲んで

 大学時代の4年間、顔から火が出そうな事を毎日積み重ねていた。見えているはずのものが見えていなかったり、小さいものが大きく見えていたり、大きいものを小さくみようと意固地になったりする生意気がカラダ中を支配していた。

 そんなわんぱく小僧が、楢崎洋子先生と出会った。

 2010年、八村義夫に出会った興奮そのままに、自分は日本の作曲家をやらねばならないという使命感に取り憑かれた小僧は4月に楢崎先生と出会う。先生の専門は日本現代音楽であり、僕にとっては格好の生き字引であった。先生の授業は文献に忠実に、出典を明確にすること、思い込みで書いたりしない。その三点を中心に展開された。一方僕はといえば、思い込みまっしぐらのイノシシだった。少し自分が発表をすれば、楢崎先生は苦笑いをして「ああ、もう時間足りないじゃないですか。」とまくしたてるように僕の誤りを正す。一時期、あの先生はいつ息継ぎをしてしゃべっているんだと学生の間で噂されるほど、先生はいつも急いでいた。
 そんな忙しい授業だから、僕は最前列に陣をとって漏らさず聞くように心がけた。日本現代音楽のアカデミズムと在野の分析からはじまる講義の数々は、自分自身が好きだったたくさんの現代作品が、手に取るように分類され、八村義夫という人の特異性にあらためて気がつくこととなった。同時に、まずは日本の現代打楽器音楽の総覧となるような演奏会をしてみたいと思うようになった。それがサントリーホールレインボウ21への応募につながり、先生にもその企画骨子を作る上でいくつもの励ましのお言葉をいただきながら、選曲と企画書の内容を詰めていった。手作りの企画書は公演実現に向けて、その歩みをサントリーホールへと進めて行った。  
 2011年4月からの楢崎先生の授業の冒頭はレインボウ21のプログラムノートの入稿期限その日まで僕の文章の推敲にあてられた。夜中の三時を過ぎてなお、楢崎先生から電光石火の如く猛烈な赤字のワードファイルが帰ってくる。この人、一体いつ寝てるんだよ、と画面の前で声をあげたものだった。  
 当時のデータが残存していた。 (太字斜体は楢崎先生の赤入れ修正、細字は拙文)

曲目解説 記憶の籠を辿る時⇒わかりにくいです
 
古くから歴史を持つ楽器は、時代を経るごとに改良を重ね、最良の響きがなされるために研ぎ澄まされていった。同時に、優れた作曲家とその声に耳を澄ます演奏家の存在があった。そしていま、現代に生きる私たちはその楽器を手に取っている。(⇒ヴァイオリンをはじめ、改良されない楽器もあり、また、打楽器でもマリンバなどは改良されるので、このセンテンスは適切ではありません。たとえば、以下のような書き出しにする)  
 打楽器の音楽は、ここ50年の日本の現代音楽界において多くの発展を遂げた。そこには希代の名演奏家と、作曲家の存在があった。とりわけ打楽器奏者吉原すみれの登場によって、作曲家はその存在そのものに大きな(⇒トルツメ)創作意欲を燃やした。吉原のために多数の作品が書かれ、ひたむきに一音一音に向き合うその姿に、作曲家たちは惚れ込んだ。かつて作曲家石井眞木はこう言った。「打楽器のカンバスにはまだ白地が残っている。打楽器音楽には、まだまだこれから新しい創造の花を描く広い余地がある」。  
 今、日本の打楽器音楽の歴史は半世紀を迎えた。ここでひとつの歴史の総覧し、若い世代は、その大いなる遺産を継承するときが来ている事を認識しなければならない。 ここに、今回の選曲はどのようなコンセプトによるのか、4つのグルーピングはどのような観点によるのか、それぞれのグループの聴きどころ等を述べてください。ソロ(マルチ・パーカッション)、ソロ(マリンバ、鍵盤)、打楽器アンサンブル、の3つのタイプに分けられていると思うので(ソロ(マルチ・パーカッション)はさらに2タイプに分けられていることになるでしょうか)、それらの楽器の選び、組み合わせの違いによる打楽器の様々な局面についても述べてください。 同時にこの演奏会で、打楽器音楽の深い魅力を、多くの聴衆の皆様方が発見して下さる事を願ってやまない。

※各曲の解説の中で初出の作曲家名には(  )で生年~没年を書いてください。もし、前文で作曲家名を挙げるのであれば、前文の中で挙げてください。 ※以下の曲目解説では、どの作品についても作曲者の自作解説を簡潔に紹介して解題してください(引用に語らせないこと)。


Ⅰ 打楽器音楽の創始
 以下の武満、福士の作品を「打楽器音楽の創始」に分類するのはあまり適切ではないと思うのですが(すでにチラシに書いてますね)、創始として扱うなら、その根拠を述べてください。たとえば、すでにあった欧米の打楽器音楽とは異なる新たな特徴を加えたという点で、これらの作品を日本の打楽器音楽の創始と呼ぶにふさわしいのかを、いかなる点で新しいのか、独特なのかを、各曲の解説の中で述べてください。たとえば、ソロによるマルチ・パーカッション作品である点を取り上げて、楽器の選びにどういう傾向や特徴があるのか、等について書いてください。北爪さんの曲を最後に「未来へ向かって」に取りあげるなら、ソロ・パーカッション作品における楽器の選びや発想が、この数十年のあいだにどう変遷してきたかについて(たとえば、多種類を使おうとすることから、そうではない方向に変わってきたのかどうか、それはなぜなのか)、各曲の解説の中で、前文にも書いてください。(以下後略)

 感情に流されやすい僕の性格をも見抜いているかのような赤入れは、当時の僕に多大な影響を及ぼしたことは言うまでもない。太陽が登る頃に修正原稿を先生に再送。床で寝たのち、始業10分前に起床し大学に走る。これも僕にとって演奏と同じくらいに大事なレッスンであり、思考の稽古だった。  

 学部二年間の楢崎先生との邂逅は僕の礎を築く重要なものだった。大学院に進学したのちは個人的な授業の繋がりは減っていったものの、様々に挑戦する賞の審査員として楢崎先生は度々公演会場に足を運んでくださっていた。大抵先生は終演後、どうしてこんなに早く歩けるんだ、という超速の歩みで会場を後にされ、立ち話すら困難だった。先生は急いでどこへ向かっていたのだろう。  
 2020年8月28日、楢崎洋子先生の訃報に接し、メールサーバーに一番に出て来たのが2013年8月のリサイタルを終えた後のやりとりだった。それは、今尚僕に語りかけるメッセージだと思った。時を超えそれは、楢崎洋子、という生き様すら、そこに見出してしまう自分がいた。そんなことを先生に申し上げたなら、たちまちきっと、少し早口に、「あなたはいつもそういう感傷的なところがあるから。」と笑顔を見せてくださるかもしれないと、思いを馳せる。

 

 會田瑞樹 様  
 昨日は舞台、客席ともに充実していておめでとうございます。忙しくなるなかで質を変えることなくこなしておられることにまず敬服します。昨年を思い起こしてみると、会を重ねるごとにじんわりと演奏の視界と語彙が豊かになっているのを感じます。それを続けることで、要のタイミングには飛躍的に変わったなあと感じさせることがあるのでしょう。今回の演奏も、作曲者にとっても、それぞれの構想にほとんど重なるような理解にあふれた演奏だったであろう、と思われます。  
 今後、聴きたいと思うのは、作品に対しても、それを音にする自分自身の演奏に対しても、批判的な視点を向けた演奏でしょうか。舞台に提示するのは、それまでの過程をいっさい封じるような、すっきりした作品像であり演奏で ある、といった認識を會田さんの演奏には感じるので、舞台には出てこない、各作品に対してのいろいろな引っかかりはないことはないだろうとも思います。作品に対しての、それを演奏する自身の理解に対しての引っかかりを批判として、作品と演奏に対峙させた演奏を聴きたいとも思います。  
 批判は、否定することでもなく悪口を言うことでもなく、対象に潜むものを引き出すための考察であり、それを引き出すために自身の演奏を超えるための考察です。作品と演奏の関係は、円環をなすものであるよりも、相互に理解を超えるところがおもしろいのだと思います。理解を超える関係を克服したのが今回の演奏であるのかもしれません。演奏する作品のタイプが広がるほどに、作品と演奏が鼓舞し合う演奏を聴きたいと思います。  楢崎洋子  

 

 楢崎洋子先生のご冥福をお祈りいたします。

 2020年8月30日 會田瑞樹

食べることが三度の飯より好き:五食め「麻婆豆腐」

 この料理は奥が深い。   
 いつも色々な場所に着地してしまう。毎回、同じところに着地できないのだ。  
 豆腐の水切りの問題もあるのかもしれない。いや、隠し味のトマトの水気の量が本当に素材によって違う。もしくはどこまで辛くするか… とにかく毎回、作るたびに発見があるし、レシピも様々。家庭によっても、レストラン、街の中華屋さん...どこにいっても絶妙に異なった、個性的な味付けがある。
 

 肉味噌を作る。弱火でじっくりひき肉の余分な油を取り出してかりっとした食感を目指す。甜麺醤を中心に五香粉で風味をつける。肉味噌ができたら取り出して、改めて豆板醤、刻んだにんにく、しょうが、トウチを弱火で火にかけて、ふつふつと煮えてくる。香りが立ってきたら、肉味噌、よく水気を切った豆腐を入れる。そしてこの後に中華だしスープを入れるか、トマトベースのだしを入れるか、その日の気分で決める。凝って鶏がらスープでやった時期もあった。ある程度水気が出たら水溶き片栗粉でとろみをつけて一気に強火で。お好みであとがけ花椒を。

 いつも同じだ。しかし、なぜこんなに毎回様々な味わいが生まれるのか。  
 「素材の味を引き出すことですよ。」  
 と、昔料理人の北さんとお話をしたことがある。仙台のさる銘店のマスターだ。素材の味、それらの声を聞くということなのだろうか。若い僕にはその達観した精神をただ黙って聞くより他なかった。  
 不思議なことに麻婆豆腐を作るたびに、北さんのお言葉が蘇ってくる。中華料理というのは本当に奥深いと思う。素材に向き合っての調理。なんだか、音楽にも似ているような気がして、麻婆豆腐を作るたびに、自分の襟を正しているような気分になる。

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食べることが三度の飯より好き:四食め「テンペイとなっとう」

 なっとうは大好物。一人暮らしを始めた頃、とりあえずなっとうを食べていればなんとかなると思っていた。北大路魯山人のなっとうへのこだわりも凄まじい。器に移し替え、箸を二本握りしめて、徹底的にかき混ぜる。そのあとにからし等、お好みで入れたのち、さらに混ぜる、とにかく混ぜる。徹底的に混ぜた後にご飯の上に乗せて、暖かなお茶をかけるなっとう茶漬けも、その見た目なかなかとはいえ味は格別。

  なっとう好きな外国の友人は僕の周りにはいない。けれど、それにつながる料理だと思ったのは、インドネシアジョグジャカルタ出身のウェリ・ヘンドラモッコのお母様が作る「テンペイ」である。
 テンペイは、インドネシアでは頻繁に食べられる料理で、日本でもインドネシア料理店に行けば簡単に食べることができる。揚げてあって淡白な味わいで、あまり個性を感じないと思う。

  ウェリの母上の味付けは極上である。
 日本食で近い味付けと言えば、佃煮。それに赤/青両方の唐辛子を効かせたパンチの効いた味わいで、香ばしいテンペイが食欲を増進させ、美味い。

 テンペイとはなにか。以下引用。
「テンペイ(Tempeh)はインドネシアの伝統的な食材。ゆでた大豆をバナナの葉などで包み、一晩発酵させて作る。納豆の親戚だが粘り気が無く、味の方ももっと淡白。豆腐と同じようにタンパク質に富んだ自然食品として人気がある。」

(出典:http://www.asobikata.com/eat/discover/discover010724_01.htm)

  おやおや、なっとうの親戚ではありませんか。
 しかし、なっとうのような粘り気はない。そして淡白。ウェリのお母様は甘辛く煮付けてくださる。まさに家庭の味なのだが、これが実に美味いのである。例えば、ナシゴレンにいれても(インドネシア語ナシゴレン(ナシ=お米、ゴレン=揚げる)絶妙なのだ。初めて食べた時、僕は感嘆した。ウェリは恥ずかしそうに言った。「日本の人たちは辛いものが苦手と聞いていたから、いつだそうかとタイミングがわからなくて…美味しいと感じてくれて嬉しいよ。」

  ウェリも今年の九月にはパパになる。実にめでたい。

食べることが三度の飯より好き:三食め「パクチー」

 「パクチーを入れますか?」  
 最近アジア料理のお店に行くと、必ず聞かれるようになった。  
 健康を謳う人たちには随分馴染みの素材になったらしい。  
 僕はといえば、小学校時代、東京観光の折に母親お墨付きのタイ料理屋に連れて行かれ、パクチー豊富な様々な料理を口にしたのが始まり。嫌な感じはしなかったが今まで食べたことのない味だなと思った。  
 これも歳をとればとるほどで、例えば脂っこいブダバラ肉を炒めつつ、パクチーを最後に加えると、絶妙に脂身のくどさが抜けて、ああ、これはいい薬草だなと思うようになった。以来、欠かせない好物だ。    

 香りの強い野菜といえば、エゴマや大葉も。  特にエゴマは、韓国はチェジュ島での滞在が忘れられない。エゴマ白身の刺身、青唐辛子、生にんにく、辛味噌、キムチ、お好みでお米を乗せて、包み、頬張る。何回マシソヨと言ったかわからない。この要領でサムギョプサルもいく。香りが強く、日本で取れるものとはサイズが二倍以上のエゴマの葉はサンチュよりも滋味あふれ、力がみなぎってくる。  

 かつて仙台にあったあの店。 僕はえびせんが好きで(実にジャンキーな食べ物だが、あの食感はくせになる)海鮮焼きそばや、ピータン豆腐サラダとか、イカ団子だとか、手羽先の唐揚げとか、活気ある力強い屋台の空気を醸し出していた。連日の行列。たちどころに人気店となり、ランチでは旨味溢れるスープと縮れ麺のチャーシューワンタン麺をよく食べた。

 パクチーを食べるとふと思い出す。

食べることが三度の飯より好き:二食め「しいたけ」

 しいたけというのは実に独特な食べ物だ。  
 しいたけの原木を見たことがあるが、実に生々しい。  
 きのこは宇宙人のようだ。傘が自らを守って、にょきにょきと進む。  
 
 そういえば、《きのこ》という童謡があった。まどみちお作詞、くらかけ昭二作曲。ピアノ伴奏の前奏は生々しい不協和を効果的に使い、中間部はロマンティクな部分もあったりと、菌類きのこへの温かな眼差しを感じる音楽だ。  
 そんな童謡を歌っていた頃、母は炊き込みご飯をお弁当に入れた。  
 蓋を開けて、匂いを嗅いで、なんか、食べたくないかも。という謎のスイッチが入った。
 「せんせー、これ腐ってる。」
 我ながら嫌なガキだと思う。もちろん腐ってないし、そのお弁当はその夜、親父が食べ、母親は烈火のごとく激怒した。母は怒り、親父は飯を頬張り、僕は説教を聞く。すごい図だ。
 そこに入っていたのがしいたけであった。  
 
 しいたけは香りが強い。原木を見ていると強く感じるが生命力の宝庫といってもいいだろう。そんなしいたけは僕の幼少期にはあまり馴染めるものではなかったようだ。しかし、今ではしいたけの芳醇な香りは鍋の中に入れても良いし、様々な料理で香りの一助となる大好きな野菜の一つだ。香りを楽しむまでにはやはり30を超えないと難しいようだ。  
 しいたけのホタテ焼き。両親がよく作る素敵なメニューのひとつ。  
 ホタテをマヨネーズであえて、それをしいたけの傘に敷き詰める。ヘタは取っておく。少し粉チーズなんかかけてもいいかもしれない。それをトースタでこんがりと。  
 海のものと山のものとが出会う、オツなおつまみである。