會田瑞樹の音楽歳時記

打楽器奏者、會田瑞樹の綴る「現代の」音楽のあれこれ。

走れ、正直者

 昭和63年生まれの僕としても、平成があと一ヶ月と告げられると去来する思いがある。感傷的なものでなく、駆け抜けた、という印象なのだ。

 このところ遠い昔の記憶から呼び起こされるドラマがあった。木村拓哉主演の「ギフト」だ。この当時にしては随分ハードボイルド系だったらしい。僕は、それこそその年頃の精一杯でそのドラマを受け止めようと頑張って観ていた。なによりありがたかったのは、同じクラスメートにもそうやって精一杯背伸びしてドラマを観て、自分なりに解釈したことを説明する奴がいたことは僕にとっても刺激的だった。背伸びをすることは悪いことじゃない。同時期には草なぎ剛主演の「いいひと」も放映されていた。いわゆるタイアップで、ドラマの中で主演の二人が交錯したシーンの時、二人は双方共に全力で走っていたのだった。「ギフト」はモノを届けることに執着する主人公、かたや「いいひと」はシューズメーカーの社員。二人とも、常に全力疾走だ。当時誰が想像できたか、袂を別つとは、まさにこのこと。

 

 背伸びをして何かを見つめることは、人生の原動力だと思う。分からないのなら、分からなければ、と思った。まだSMAPの二人が出ているドラマはずいぶんわかりやすくて、Pink Floydの良さを知ったのは中学生になってからだった。その頃に石井眞木にもクセナキスにも出会っていたし、高橋アキさんの独奏による刺激的なレコードの重みは日に日に存在感を増していた。ある審査の席上で「分からない奴が悪い。」と八村義夫氏が発したと伺ったことがある。体当たりでぶつかっていくことが最も大事なのではと思う。

 

 今日は珍しく静かだったので美術館に赴くことにした。そういえばと、近くの墓地に足を向けた。昨年のこの時期、その人と日本酒を酌み交わした記憶だけが鮮明に思い起こされる。美術館の、とても示唆に富んだ空間を堪能し桜の下で缶ビールをあけた。近所のスーパーで南仏の安ワインと手軽な素材を買う。今日も魚は充実している。テレビをつけると"笑点"だ。思わず笑いがこみ上げるこの旋律、祖父はいつもこの番組を見ていた。そんな日曜日には少し酢がきいた煮付けの匂いが立ち込めていた。円楽さんがあの馬面と美声で指名し、回答者の歌丸さんの答えに子供心に感心したものだった。チャンネルが変わると"ちびまる子ちゃん"、さくらももこの作品は"コジコジ"が好きだけれど、まる子の自叙伝的な趣が妙に実感がある。"サザエさん"になればカツオやワカメや、波平さんやオフネさんってこんな声だったのかなあと振り返ったりする。ああ、そうか。すでにこの人たちはこの世のものではないのだと知る。

 

 走り抜けた平成の後に来るものを、僕たちはどう受け止めよう。

 真っ白なキャンバスをどんな色に染めるのも、僕たち次第だ。

 

松村禎三先生とわたし

 僕は在りし日の松村禎三先生にお会いしたことはない。最近になって松村禎三先生の肉声を聞く機会があったのだが、あまりにも祖父に似ていて(思えば骨格が似ているような気がする)驚いた。松村先生は京都生まれ、祖父は姫路生まれという意味でも両者どこかで一度はすれ違ったことがあったかもしれない。

 

 2007年、僕は大学受験に失敗し、しかも最後に受けようとした学校はインフルエンザ感染のために強制帰還という、踏んだり蹴ったりの状況に陥った。あまりの熱に東京のビジネスホテルから仙台にいる母親に救援を求める情けない状態だった。あの日はやたらに春うららかな天気で、それが悪寒をさらに痛感させたことをよく覚えている。二日間ほど点滴を打ってもらいようやく回復するという、自分史上稀にみるひどい病状だった。
 振り出しに戻って浪人生として勉強をしよう。と、誓いつつも、その時の僕に4月の桜は眩しすぎた。これからいったいどうなるのだろう。そんな不安でいっぱいだった。その時の僕にはメランコリックな旋律を持つ、吉松隆氏の音楽は救いだった。すると隣県の山形で氏の代表作《サイバーバード協奏曲》の上演があると聞く。仙台・山形間はバスで一時間ほどだし、祖父母も山形にいる。少し足を伸ばして聞きに行こうと計画した。

 開演19時、山形県民会館だった。当日は吉松氏も来場されていたと思う。若干父親に似ていると思いながら、トークに耳を傾けていた。《サイバーバード協奏曲》は須川展也氏の鮮やかなプレイが駆け巡った。後半、吉松氏がトークでおもむろに松村禎三先生の話を始めた。当夜、締めの演目が《交響曲第一番》だったのだ。「松村禎三先生は僕の師匠でもあり…」というお話から、「今日もご来場を予定されていたけれど、入院されてしまって残念…久しぶりにお逢いできると思って私も楽しみにしていた…」そのような旨のことをお話しされていたと思う。
 その日、僕は山形から仙台に帰らなければならなかった。最終のバスは21:20ころ。いよいよ松村作品で、時刻は20:40。万が一間に合わなかったらどうしよう。でも交響曲と銘打っているし、楽章間で出ることも可能だろう。そんなことを考えていたと思う。

 

 そして、その考えは冒頭30秒で木っ端微塵に崩れた。

 これはいったい。

 なんて、凄い、音楽なんだろう。

 

 八村義夫氏の著作《ラ・フォリア》の中で松村禎三先生がこんなことを述べたと記している。「ぼくは砂漠に巨大なphallusが立っているような音楽を作りたい。」当時の僕はそのことも知らなかったが、そびえ立つ巨大で圧倒的な存在、八村氏の言葉を借りれば「音響化された精神」がそこにはあった。
 僕は作品の虜になってしまった。サイバーバードは飛び去っていた。

 

 2008年、音楽大学の学生になり念願だった吉原すみれ先生に師事することになった。学生になってはじめての夏休み、すみれ先生が演奏するチラシを見つけた。「アプサラス第一回演奏会」と銘打たれ、そこにはもう今生の人でなかった松村禎三先生の業績を讃える会であることを知った。耳の奥に一年前に聞いたあの響きが蘇ってくる。しかもすみれ先生の演目は《ヴィブラフォーンのために》という独奏曲だ。あの松村先生がヴィブラフォンのための作品を遺されていたなんて、と感激した。
 東京文化会館小ホールは上京したての僕にはいつも巨大に感じられた。どんな響きが待っているのだろう。

 そこで僕は再び、松村禎三、という音響化された精神に出会った。

 自身も短歌を読む松村氏の三橋鷹女という俳人への敬意を感じるだけでなく、日本語の繊細な描写がヴィブラフォンによって表現されていく。僕はヴィブラフォンがこれほどまで表現力を持った楽器であることをその時初めて知った。

 翌日すみれ先生にお願いした。「この作品を、演奏させてください。」

 

 2010年12月、日本現代音楽協会主催の競楽Ⅸ、本選会。
 松村禎三先生の遺したヴィブラフォンの作品を、ヴィブラフォンを多くの人に知ってほしい。ただその一心だった。それが僕にとっての演奏家としての、デビューとなった。あれから約10年の月日が流れようとしている。

 2011年にはサントリーホールでのデビューとなったレインボウ21でこの作品を演奏し、奥様であられる松村久寿美さんにご来場いただいた。演奏会の尺は長いものだったのだけれど、久寿美さんは最後まで聞いてくださったばかりか、ロビーでお目にかかることもでき、「松村の作品を演奏してくださり、ありがとうございます。」と勿体無いお言葉までかけてくださった。久寿美さんと握手した感触は忘れられない。

 

 松村禎三先生にお会いすることは叶わなかった。

 けれども常に先生の作品が傍にあるように思える。音響化されたその精神に触れる時、いつも襟を正す。自分を見失っていないか、自分をもっと高めていかなければ。松村禎三先生の作品に触れるたび、いつも思う。

 

tm-apsaras.jimdofree.com

 

 

2/10第一生命ホール14時開演:水野修孝作曲《マリンバ協奏曲》30年ぶりの再演によせて

 まだ大学生だった頃、音楽評論家・プロデューサーである西耕一さんからある音源をいただいた。

 風鈴が鳴ると、微かにマリンバが聞こえてくる。オーケストラが濃密にクラスターを奏でるとごそごそと断片が集まってくる…打楽器の咆哮!そしてカオスティックに音群は極限まで高められて…

 興奮してその夜は眠れなかった。いつかこの音楽を演奏したい。作曲、水野修孝、マリンバ、高橋美智子による《マリンバ協奏曲(1980)》との出会いだった。

 高橋美智子先生に勇んでその興奮を伝えた、僕も演奏したいです!当時大学生の僕にはなんの可能性もなかったが、夢だけはいつも大きかった。そんな僕に美智子先生はいつも優しく、こう答えてくださった。

 「私の委嘱した協奏曲はすべて武蔵野音大図書館に寄贈しているから、いつでもできるわよ。いつか、演奏してね。」

 ある時、美智子先生と一緒にこの協奏曲の音源を聴いたことがある。

 「このリズムの複雑な絡み合いやジャズの語法は、水野さんだから書くことのできた立派なものよね。」

 美智子先生は初演時の様々な苦労をお話ししてくださった。特に、カデンツァは当時結成していた打楽器アンサンブルのメンバーを加えて、強力な態勢で臨んだことを、熱く語ってくださった。

 

 大規模な協奏曲の初演、再演は本当に難しい。手応えを得た初演が再演に結びつくには、多方面からの努力を必要とする。まして、打楽器のための協奏曲を取り上げるということは、プロオーケストラにとっても、”冒険”かもしれない。それでも、僕は打楽器協奏曲がヴァイオリンやピアノのための協奏曲のように当たり前に演奏される未来が来ることを諦めたくはない。

 ヴァイオリンやピアノが独奏楽器として確立したのは、ほかならぬ協奏曲の存在があったからだと僕は思う。独奏では得ることのできない豊穣な響きがそこにはある。加えて、独奏者とは(語弊を恐れず申し上げるならば)ある種の、異物、でもある。オーケストラという強力なチームの中に、混入、していく。混入から、対峙へ、いつしかそれは対話となり、劇的な展開をみる。そうしていくつもの名演奏と名作が生まれて来た。

 

 1980年に初演された水野修孝作曲のマリンバ協奏曲は、二度目の再演以降、表舞台から姿を消した。その存在すら遠い歴史に押し込められて来た。

 二度目の再演の音源がfontecの「現代日本の作曲家」シリーズの中で水野修孝が取り上げられ、その音源が何十年の沈黙を破って出現した。それはとても喜ばしく、今を生きる僕たちにとって多くの示唆をもたらした。

 

 文化を消費から、昇華へ。

 振り返る暇もなく突き進むだけでなく、文化は未来へ昇華するはずだと、僕は信じたい。

 

 高橋美智子先生と、新作を演奏することについて意見を交換したことがあった。

 「新作は、三度、演奏することが大事よね。一度目は、作曲家の都合もあるから、極端に締め切りギリギリになったりもするから、舞台に上げること、演奏家はそれだけで精一杯だと思う。二度目の演奏で、作品の持つ意味が半分ほど、理解できるかもしれない。三度目の演奏で、その作品が、未来に残るか、残らないか。演奏家も判断できると思うの。」

 

 小出英樹さん率いる、弥生室内管弦楽団から、水野修孝作曲の《マリンバ協奏曲》を上演したいというお話をいただいたとき、この演奏が「三度目」になることに僕は気がついた。

 1980年の初演、再演を経て、作品は一度深い眠りについた。図書館から再び楽譜を呼び起こした時、写譜上の問題点など、様々な書き込みがそこにはあった。水野修孝先生立会いのもと、一つ一つをクリアしながら、今回演奏するのは極めて初稿の形に近い、原典に基づく上演となる。

 小出英樹さん率いる、弥生室内管弦楽団の皆さまには様々な点でお力をお借りしながら、打楽器アンサンブルのメンバーには、僕の”クセ”までも熟知してくださる、古川玄一郎さん、千田岩城さん、斎藤綾乃さん、小林孝彦さん、鈴木孝順さんをお迎えした。極めて高度な変拍子のアンサンブル、そして強度あるパッセージをこの方々と演奏したいと思った。全ての方々に感謝の思いでいっぱいです。

 

 30年の眠りから覚めるこの音楽。

 どうかご来場を心からお待ちしております。

 

 

 2019年2月10日(日)

 14時開演 第一生命ホール

 弥生室内管弦楽団第50回演奏会

 https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=1850915

 

 

 

回顧2018:會田瑞樹世界初演作品39曲

 2018年も残すところあとわずかとなりました。今年も多くの方々に大変お世話になり、感謝の思いでいっぱいです。これからも多くのお客様に打楽器音楽、今を生きる音楽の限りない魅力を伝えるべく、尚一層精進してまいります。何卒、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

  2018年も様々な作品との出会いがありました。とりわけ今年は、数年来に渡って作曲家の方々と構想を練り、温めてきた協奏曲の初演は忘れ得ぬものとなりました。山内雅弘作曲《SPANDA》を大井剛史指揮・東京交響楽団とともに世界初演権代敦彦作曲《wol海から》・佐原詩音作曲《The Snow ヴィブラフォンと弦楽オーケストラのための》をリトアニア・ヴィリニュスにおいてModestas Barkauskas指揮、St. Christopher Chamber Orchestraとともに世界初演、権代作品は先の會田瑞樹ヴィブラフォンリサイタルにおいても、須田陽指揮・甲斐史子氏をコンサートマスターに特別編成弦楽オーケストラにおいて日本初演も行うことができました。これらの作品をさらに、再演を重ねたいという強い思いがあります。2017年に初演した薮田翔一作曲《Gushは第一楽章をアンサンブルフリーイーストの皆様と再演し、続編の完成が待たれています。国枝春恵作曲《弦楽器・打楽器・尺八のための音楽〜花をIII 〜》を張国勇指揮・中国国家交響楽団とISCM(国際現代音楽協会)世界音楽の日北京大会でのフィナーレコンサートで演奏できたことも、大きな刺激となりました。

 海外での公演は北京・ジョグジャカルタ・パリ・ヴィリニュスと、様々な都市を巡ることができました。世界中の人々との音楽による会話はとても魅惑的であり、日本で生まれた様々な作品を世界中の人々に演奏して回りたいという決意が生まれつつあります。

 加えて、国際交流基金アジアセンター主催事業である「NOTES」への参加で、これまで突入することのなかった領域である”作曲”に関心を抱くこととなりました。全員合奏のためのThe river躍動感を兼ね備えたKampai-Divertimento》《Wellyの3作品を作曲し、実際に音出しをして公演で披露することによって、自分自身の音楽のあり方を改めて見つめ直すことができました。このような機会を与えてくださったことに、感謝しています。さらに即興演奏で1時間を構成した、新倉壮朗氏とのセッションは音空間を二人で作り上げる痛快な時間となりました。

 

 今年は作曲家の個展へも多く参加できたように思えます。清水一徹、木下正道、高橋悠治各氏の個展、たかの舞俐氏プロデュースによる公演は、個々の作曲家の持つ個性が明確に打ち出され、それぞれに強い印象を残しました。
 さらに能舞台を実験的空間として再構築する、清水寛二氏の新たな試み「青山実験工房への参加は大きな閃きをいただくことができました。湯浅譲二作曲《舞働》を舞との共演で、久田典子作曲《原始蓮 ー赤猪子のいた日からー》を佐藤紀雄先生と初演できたことや、12月公演では湯浅譲二作曲《冬の日・芭蕉讃》・八村義夫作曲《ブリージング・フィールド》を高橋アキさん、木ノ脇道元さん、篠崎和子さん、トーマス・ピアシーさんという尊敬する演奏家の方々とご一緒できたことが、何より嬉しく、大きな学びの時となりました。内藤明美作曲《砂の女も四年ぶりの再演となり、作品の魅力を改めて感じ、2012年に初演した際以上の、発見に満ちるものとなりました。
 松平敬氏とのシューベルトシュトックハウゼンを巡る「星と冬の旅」はシューベルトヴィブラフォンで演奏するという強烈な試みで、楽器の可能性をさらに示唆するように感じました。このプロジェクトは長期的に発展することを目指しています。シュトックハウゼン作品との邂逅もどこか人肌のある彼の作品に大いに興味を持ちました。

 

 出会いとともに、別れもありました。末吉保雄先生逝去の報は僕にとって多大な衝撃と悲しみでした。音楽家として様々な学びの時間をくださった末吉先生への感謝は尽きることがありません。遺してくださった素敵な作品の数々を折に触れて演奏を重ねていくことが、僕にできる最大の恩返しだと思っています。

 

 12月25日、24日に30歳を迎えての初舞台となった會田瑞樹ヴィブラフォンリサイタル-旅するヴィブラフォン-は、多くのお客様においでいただけたこと、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。

 多くの方々に感謝を込めて、どうぞ来年もよろしくご贔屓のほど、

 何卒、お願い申しあげます!!!

 

 

2018年世界初演した作品(全39曲) 演奏記録

 

薮田翔一

《Aita 〜愛多〜》

會田瑞樹生誕30年を祝って作曲/糀場富美子先生門下作品発表会において初演

 

薮田翔一

《如月〜祈りの森より〜》

會田瑞樹委嘱/AITA in the DARKにおいて初演

 

薮田翔一

《Gush 2 Intermezzo -Concerto for Vibraphone and Orchestra-》

アンサンブル・フリーイースト委嘱/第9回アンサンブルフリー・イースト演奏会(杉並公会堂)において初演/指揮:浅野亮介/ヴィブラフォン独奏:會田瑞樹

 

木下正道

《ただひとつの水、ただひとつの炎、ただひとつの砂漠Ⅱ》

曽我部清典先生と弟子達特別演奏会「今日までそして明日から」において初演

 

清水一徹

《Re;hearse 〜笙と箏、打楽器のための》/清水一徹作品個展演奏会(笙:真鍋尚之 箏:平田紀子 打楽器:會田瑞樹)において初演

 

久田典子

《原始蓮 ー赤猪子のいた日からー》/青山実験工房委嘱作品/青山実験工房第一回公演(ギター:佐藤紀雄/打楽器:會田瑞樹)において初演

 

木下正道

《灰、灰たち.. 灰...V for Guitar & Percussion》「季節をめぐる歌たち」木下正道作曲作品個展(ギター:土橋庸人/打楽器:會田瑞樹)において初演

 

木下正道

《冬のスケッチ(宮沢賢治) for Soprano, Bass Flute, Bass Clarinet & Percussion》「季節をめぐる歌たち」木下正道作曲作品個展

(小坂梓: ソプラノ沼畑香織: フルート/バスフルート 岩瀬龍太: クラリネット/バスクラリネット 會田瑞樹: 打楽器)において初演

 

木下正道

《季節表2 (エドモン·ジャベス) for Soprano, Flute, Clarinet, Guitar & Percussion》「季節をめぐる歌たち」木下正道作曲作品個展

(小坂梓: ソプラノ 沼畑香織: フルート/バスフルート 岩瀬龍太: クラリネット/バスクラリネット 土橋庸人: ギター 會田瑞樹: 打楽器)において初演

 

木下正道

《春はあけぼの(清少納言)for Soprano, Flute, Clarinet, Guitar & Percussion》「季節をめぐる歌たち」木下正道作曲作品個展

(小坂梓: ソプラノ 沼畑香織: フルート 岩瀬龍太: クラリネット 土橋庸人: ギター 會田瑞樹: 打楽器)において初演

 

中川俊郎

《アコースティックエレジーVII》/會曾vol.3において初演/(トランペット:曽我部清典/打楽器:會田瑞樹)

 

桑原ゆう

《2 と32 [In Between b]》/會曾vol.3において初演/(トランペット:曽我部清典/打楽器:會田瑞樹)

 

森田泰之進

《I/SO tope》/會曾vol.3において初演/(トランペット:曽我部清典/打楽器:會田瑞樹)

 

山本準

《セピア色のバラード》/會曾vol.3において初演/(トランペット:曽我部清典/打楽器:會田瑞樹)

 

原島拓也

《極彩ドロップNo.6》/會曾vol.3において初演/(トランペット:曽我部清典/打楽器:會田瑞樹)

 

佐原詩音

《Petorunkamuy》/會田瑞樹札幌ミニライブでの初演を経て改訂、會曾vol.3において初演/(打楽器:會田瑞樹)

 

會田瑞樹

《The river》/国際交流基金アジアセンター主催事業「NOTES」

インドネシアジョグジャカルタ公演"INVISIBLE"において初演/(Voice:sri wahyuningsih,KazumaOchiai,RieAoyagi,Piano:GardikaGigih,Gundel:WellyHendratmoko,Drum:AriefWinanda,Koto:NobuhiroKaneko,Vibraphone:Mizuki Aita)

 

Arief Winanda

《Music for Cymbal China》/国際交流基金アジアセンター主催事業「NOTES」インドネシアジョグジャカルタ公演"INVISIBLE"において初演/(China Cymbal:Mizuki Aita)

 

Gardika Gigih

《夢をみたい– I want to see Dreams –》/国際交流基金アジアセンター主催事業「NOTES」インドネシアジョグジャカルタ公演"INVISIBLE"において初演/(Pianica:Gardika Gigih,Vibrphone:Mizuki Aita)

 

會田瑞樹

《Kampai-Divertiment》/国際交流基金アジアセンター主催事業「NOTES」インドネシアジョグジャカルタ公演"INVISIBLE"において初演/(13koto:Nobuhiro Kaneko,Vibraphone:Mizuki Aita)

 

Welly Hendratmoko

《Harmoni in Ryoanji》/国際交流基金アジアセンター主催事業「NOTES」インドネシアジョグジャカルタ公演"INVISIBLE"において初演/(Voice:sri wahyuningsih,Piano:Gardika Gigih,Gundel: Welly Hendratmoko,Arief Winanda,Koto:Nobuhiro Kaneko,Vibraphone:Mizuki Aita)

 

山内雅弘

《SPANDA -ヴィブラフォンとオーケストラのための-》/オーケストラプロジェクト2018において初演/(指揮:大井剛史/ヴィブラフォン独奏:會田瑞樹/管弦楽:東京交響楽団)

 

黒田崇宏

《poco rit…for Vibraphone solo》/MIZUKI AITA Récital de Vibraphone in Parisにおいて初演

 

Marin Escande

《Villes à travers forêts, fôrets à travers villes》會田瑞樹委嘱/MIZUKI AITA Récital de Vibraphone in Parisにおいて初演

 

青柿将大

《Reverse graffiti for Vibraphone solo》會田瑞樹委嘱/MIZUKI AITA Récital de Vibraphone in Parisにおいて初演

 

佐原詩音

《玉蟲の翅、その結び》會田瑞樹委嘱/MIZUKI AITA Récital de Vibraphone in Parisにおいて初演

 

権代敦彦

《Sæwol -海から- ヴィブラフォンと弦楽オーケストラのための》會田瑞樹委嘱/「EXOTIC JAPAN」において初演/Vilnius St. Christopher Chamber Orchestra/Conductor – Modestas Barkauskas/Soloist – Mizuki Aita, vibraphone

 

佐原詩音

《The Snow ヴィブラフォンと弦楽オーケストラのための》會田瑞樹委嘱/「EXOTIC JAPAN」において初演/Vilnius St. Christopher Chamber Orchestra/Conductor – Modestas Barkauskas/Soloist – Mizuki Aita, vibraphone

 

近藤浩平

《湖と舟 〜湖北の光と陰〜》WINDS CAFE 262 in 原宿 打楽器百花繚乱Ⅴ 〜旅するヴィブラフォンへの序曲〜において初演

 

原島拓也

《toi tˈɔɪtɔ́ɪfor percussion solo》會田瑞樹委嘱/WINDS CAFE 262 in 原宿 打楽器百花繚乱Ⅴ 〜旅するヴィブラフォンへの序曲〜において初演

 

J.S.バッハ(白藤淳一編曲)

《プレリュードとフーガ BWV543》會田瑞樹委嘱/WINDS CAFE 262 in 原宿 打楽器百花繚乱Ⅴ 〜旅するヴィブラフォンへの序曲〜において初演

ヴィブラフォン:會田瑞樹、マリンバ:小林孝彦、鈴木孝順

 

會田瑞樹

《Welly》/国際交流基金アジアセンター主催事業「NOTES」東京国立博物館公演において初演/(Gundel:Welly Hendratmoko,Vibraphone:Mizuki Aita)

 

Welly Hendratmoko

《Imbal Wacana》/国際交流基金アジアセンター主催事業「NOTES」東京国立博物館公演において初演(Gamban: Welly Hendratmoko,會田瑞樹 Voice:落合一磨、青柳利枝)

 

ゼミソン・ダリル

《歌枕3:西芳寺》工房・寂 制作 現代音楽シリーズ「庭」 第一回公演:『二つの庭』において初演/薬師寺典子 (ソプラノ)、海上なぎさ(イングリッシュ・ホルン)、會田瑞樹 (パーカッション)

 

F.シューベルト(松平敬/編)

《冬の旅》バリトンヴィブラフォン版/松平敬×會田瑞樹 シュトックハウゼン&シューベルト〜星と冬の旅 において初演

 

K.シュトックハウゼン(松平敬/編)

ティアクライス》松平敬×會田瑞樹 シュトックハウゼン&シューベルト〜星と冬の旅 において初演

 

金子仁美

《分子の香り ー3Dモデルによる音楽Ⅱー》會田瑞樹委嘱/會田瑞樹ヴィブラフォンリサイタル ー旅するヴィブラフォンーにおいて初演

 

中川俊郎

《影法師Ⅱ ヴィブラフォンマリンバ(独りの奏者による)のための》會田瑞樹委嘱/會田瑞樹ヴィブラフォンリサイタル ー旅するヴィブラフォンーにおいて初演

 

明日開催:19時杉並公会堂小ホール「會田瑞樹ヴィブラフォンリサイタル」

 旅するヴィブラフォンと題しての、リサイタル。ご来場を心からお待ちしております。全曲の聞きどころをご紹介です。

 

 八村義夫(1938-1985)作曲《Dolcissima mia vita》今年生誕80年を迎える氏の最初で最後の打楽器独奏作品。ジェズアルドの同名マドリガルの旋律を変容させ金属打楽器群とF音を基軸に様々な音が無残に飛び散り、官能的に優しく収束する。  

 金子仁美作曲《分子の香り −3Dモデルによる音楽II−》世界初演。ワイン好きの會田瑞樹にとってはたまらない題材を用いた「香る音楽」アントシアニンの分子構造を音楽に再変換して漂うヴィブラフォンの音色に包まれる。  

 中川俊郎作曲《影法師 Ⅱ. ヴィブラフォンマリンバ(独りの奏者による)のための》世界初演西洋音楽のあらゆる語法を駆使しながら生み出す諧謔と諦観。干からびた絶望が発酵してすえた臭いを放つような異様さがある。  

 K.シュトックハウゼン(1928-2007)《ヴィブラ・エルーファ》生誕90年となる現代音楽の開祖とも言うべき氏の唯一のヴィブラフォン独奏曲。エルとルファの二人による二重奏がヴィブラフォン一台で軽妙洒脱に描かれる。  

 佐原詩音作曲《玉蟲の翅、その結び》パリで初演し今回が日本初演。古代から伝わる玉虫色のイメージをヴィブラフォンと重ね合わせて様々な楽句が飛び交い、羽音のように滑らかに広がる。優美さと激しさを伴う叙情的なラプソディ。  

 間宮芳生作曲《ヴィブラフォンマリンバのための音楽》2017年委嘱作品。間宮先生への委嘱は悲願の一つだった。ユーモアと遥かなる美しさを湛えた5つの小品が織り成す音楽の花束。それらが一体となった時大きな願いが成就する作品。  

 末吉保雄作曲(1937-2018)《西へ》アメリカで生まれたヴィブラフォンはさらにその西、日本で新たな文化として展開することを夢見るだろう…2013年、当時大学院生だった會田瑞樹へ末吉先生からの激励。  

 権代敦彦作曲《Sæwol 〜海から〜》"Sea"と"Soul"即ち「魂は海から生まれ、海に帰る。」ヴィブラフォン弦楽合奏が織りなす波の色彩と波動。魂が最後に行き着く場所に向かって。須田陽指揮・甲斐史子コンサートマスター、精鋭が揃う。

 

會田瑞樹ヴィブラフォンリサイタル|コンサート/公演/リサイタルのチケット情報・販売・購入・予約|e+(イープラス)

末吉保雄先生を偲んで

 以下は2016年3月24日に開催された「末吉保雄作品個展 ー内に秘めたる声を求めてー」パンフレットに掲載された末吉保雄先生と會田瑞樹の対談記事です。在りし日の末吉保雄先生を偲んで、ここに再掲させていただきます。

 2018年8月20日に逝去された末吉保雄先生のご冥福をお祈りいたします。
 そして末吉保雄先生の音楽を、これからも演奏してまいります。

                           2018.8.24 會田瑞樹

 

対談             

末吉保雄×會田瑞樹

 

☆ 出会い                   

 末吉保雄先生との出会いは、マリンバソロのための作品《Mirage pour Marimba》(マリンバのためのミラージュ)を聞いたことに始まる。その鮮烈な衝撃をマリンバの師匠である神谷百子先生にお伝えすると「だったらお会いしてみれば良いじゃない」と言われ、神谷先生は末吉先生の連絡先を教えてくださった。お手紙で作品の感想とミラージュを演奏することを添えて投函した。お返事はこないまま、ある演奏会の終演後、お客様のお見送りをしたりしていたら、急に肩を叩かれた。

 

「どうも、末吉です。」

 

 驚いて声も出なかった。あの鮮烈な音楽を書いた末吉保雄先生が目の前にいる。ドキドキしてしまって、僕は御礼と拙い自分の演奏を詫びるばかりだった。末吉先生は直筆のサインが入った楽譜を僕にくれ、夢のような時間を過ごした。今思い返してみても、末吉先生とこうして飲み交わすようになったことが、やはり今でも夢の続きなのではないかと思う事さえある。その後末吉先生との音楽の時間は、僕が2010年に日本現代音楽協会主催のコンクールに入賞してからより一層深まる事となった。2013年ヴィブラフォン独奏のための《西へ》の初演を皮切りに、末吉先生がプロデュースしたコンセールCでの演奏会での共演、日本セヴラック協会主催のオペラ《風車の心》の日本初演など、幅広い音楽の時間を共に歩んでいる。

 

☆ スランプから《翔ぶ》            

 末吉先生の作風は固有の楽器法にあると思う。笛、太鼓、声の3点にこだわって音色を切り詰めていく。そんな作風に辿り着くまでにどんな試行錯誤があったのだろうか。東京芸術大学在学中に行われた「昭和33年芸術祭」のパンフレットを見せて頂いた。末吉先生の発表した作品は《インヴェンション》という作品。12音技法を用いた習作的なものだったと言う。この日の作品発表コンサートは他にも、水野修孝、八村義夫小杉武久、佐藤眞各氏と言った錚々たる顔ぶれが名を連ねている。

 その後も当時最先端の書法を駆使した作品で毎日音楽コンクール第2位、軽井沢国際音楽祭入選、NHK教育番組の音楽作曲やプロデュースと多方面に活躍していた末吉先生。話は大学卒業頃に直面した、スランプの経験に始まる。

 

「言葉に対して自分の音楽を付ける方法を見失ってしまったんです。だから音楽の基礎から全部勉強し直そうと思って伴奏稼業に徹した時期に入りました。いろんな楽器、特に歌ものやドビュッシーなどをさんざん弾いて少しずつ手と耳で覚えていろいろな事を考え直していきました。」

 

 スランプを脱出した作品のひとつである《翔ぶ》という作品は、当時結成した作曲家集団「環」の第一回演奏会でも演奏された。「環」第一回演奏会のパンフレット巻頭にはこのような文章が載せられている。(以下原文ママ

 

「(前略)作曲家は徒党を組むべきではないとお考えの方もございましょう。確かに一理ある事に違いありますまいが、現在私共は「作曲家はだまつて曲を書いていれば自から音になる機会が訪れる」という状況からははるかに遠いとろこにあるのではありますまいか。「一人づつではあまりに微力な私共もともかくこれだけ集まれば皆様方に私共の作曲を聴いていただける場を確保できようではないか」私共の集りはそんなお互いの力をあわせることを第一のよりどころとしております。(後略)」

 

 血気盛んな若いエネルギーがここには充満していたに違いない。そして昨今も結成される作曲家や演奏家のグループを考えてみると、僕たちも同じ線上でこの精神を受け継いでいるように思えた。

 

「みんな音楽学校の先生なんかをしはじめてたから、切符は必死で売れば売れたんだよね。だから東京文化の小ホールは満員でね、補助席出したんだよ。勝手にパイプ椅子持って来てね、並べたから怒られて怒られて…当時は今よりもっと怒られたよ、消防法違反だとか言ってね。始末書とられてさ。二回目か三回目は時間オーバーしちゃって。それで敷居が高くなっちゃって…でも小ホールがいっぱいになったのは覚えている。そういう時代だったんだよ。みんな若いから、売るのもとっても一生懸命売ったわけね。芸大の練習室一つずつ回って「これいりませんか?」て売っていたのもいた。演奏家も錚々たる人物たちだし。」

 

 《翔ぶ》は作詩が服部芳樹、3人の歌手とフルート2人、クラリネット、トランペット、打楽器3人、コントラバスで構成されている。末吉先生が当時書いた曲目解説にはこのような言葉がある。

 

「(前略)—私は、いつかは新しい語りものの様式に至りたいという憧れをもつていて、この曲は、そんな将来への夢への一つの布石になればと願いつつ作曲しました。この曲の首尾はともかく、私は、次に何をなすべきかがかすかにわかつてきたような気がしています。—(後略)」

 

 末吉先生のドラマティックな音楽の流れは、「新しい語りもの」という精神から来ているように思えた。《翔ぶ》の歌詞は砂糖菓子のような甘さを伴う。「行き交う光は地上の流れ星」「ツイストを踊らない?」「シャワーをみてよ つめたいの」などなど。末吉先生は少し照れながらこの詩の言葉を僕に教えてくれた。「この詩の言葉は僕の趣味ではないんだ。」という注を添えて。末吉先生はあくまでそれらを冷静に見渡し、言葉の奥底にある官能に達しようとする。それは音楽でこそなし得る境地だ。

 

 

「長いスランプが吹っ切れた勢いでパリ留学が決まりました。そこで師事したモーリス・オハナが僕のフルートの使い方とか打楽器の使い方にすごく共感してくれて、2人の考えているところはよく似ているっていう風に持ち上げてくれたものだから、僕もすっかり勇気づけられていきました。」

 

 

☆ オペラ《男達》               

 そんな末吉先生に大作の依頼が舞い込む。オペラ《男達》である。好色一代女を現代的な解釈で遠藤啄郎が台本化し、末吉先生が作曲した。会場は国立劇場(小劇場、三宅坂)主役に佐藤美子、装置には妹尾河童などの顔ぶれが並ぶ。当時の公演チラシは中心に「蛾」をあしらった仄暗い美しさをたたえた妖艶なものだ。

 

「当時、オペラというのは過去のものだし欧米の文化の大劇場趣味と思っていました。僕は創作家としても日本人としてもそこにコミットする場所は無いと思っていたんですよ。その中で自分の曲を作るという事はあり得ないと思っていました。だからオペラと言われた時も通常のプロセニアム形式じゃない方が良かった。そのためにも国立劇場は良かったのです。伝統的な劇場でもあり、太鼓や笛を使ったりもするから。」

 

《男達》の楽器編成はフルートが3人、打楽器が5人、コントラバスとチェロに、ピアノとチェレスタを各一人。そして歌い手が入る特殊なものだ。

 

「むしろ、通常の伝統的なオーケストラから遠ざかろうとしているわけですよね。《男達》の中で通常の和声はあまり存在していません。ホモフォニックになる場合はあるけれど、多くは打楽器のリズムと、声と、若干のアクセントとしての笛があるだけで。どっちかっていうと、伝統芸能のなかでも能に近いような感じです。

 

 僕は、自分がシュトラウスマーラーシェーンベルクの先に立つことが出来るとは夢にも思わなかったんです。それは不可能な事だという思いがありました。更にその頃日本人が本当にバッハを分かるかというような疑問をずっと感じていました。それは非西ヨーロッパの文化への興味に繋がって、バルトークを研究することのきっかけにもなりました。だから僕が声や打楽器、笛に近づいていったのは、人類としての根源的な美の体験、伝統的な文化の奥深くに残っているものはそういう音で、それは自分の中でくみ出せる事が出来るだろうと考えていたからでした。ただそこに向かう時には西ヨーロッパの音楽史からは離れるわけです。ピアノ弾くのが大好きな自分や歌の伴奏をたくさんする自分と創作する自分とは当時はつながっていなかったわけです。」

 

☆ 「座付き」作曲家として           

 その後も創作の勢いは止まらない。常に末吉作品の初演パンフレットに名前を連ねる瀬山詠子氏の委嘱により作曲した《おかる勘平》は大きな反響を巻き起こした。《マリンバのためのミラージュ》も安倍圭子氏の委嘱無くして作品の完成はあり得なかったと言う。

 

「《ミラージュ》は自然に、自分の和声的な体験、西洋のクラシックの体験、そういうものと伝統的なものの融合が出来たと感じています。もう僕は既に日本ということにだけこだわっていなくて、打楽器の持っている普遍的なリズム性が分かるようになっていました。ロシア人やスペイン人のリズムの外見や様式は違うけれど、根本で普遍性が保証されている事もよくわかったわけで。だから様式に囚われなくなり、かなりイマジネールなものを重ねる事が出来るようになりました。

 

 今でも、座付き作者としての意識が強いです。常に演奏家のために書いているんですよ。演奏家からの注文が音符を書く動機になるんです。それが僕の作曲家としての基本姿勢です。何のために書くかと聞かれれば、僕は演奏家のために書きます。作品というのは演奏家のための素材です。音楽は演奏によって音楽であって、作品として楽譜に書いているのは素材に過ぎない。あるいは食べられていない料理みたいなもので。作品は演奏によって成就すると思うんですよ。」

 

 

☆ 大切なこと                   

 改めて、末吉先生と音楽を共に出来る事の幸せを実感した。徹底的に切り詰められた独自の表現に達するための鍛錬。自身のアイデンティティを肯定し、内奥から出てくる自分自身の心からの音楽を末吉先生は紡ぎ続けているのだ。最後に先生に伺った。

 

「音楽にとって大切な事とはなんでしょうか?」

 

「人間の音楽。音と人間。僕には、人間のいないところで音を考えられない。音を抽象化して考えるのが作曲家だからいろんなことをやるけれどそれは一つの方法論。でも誰もいないところで音楽はあり得ない。音楽家とは種々の感情の代弁者だと思っているから。

 それと個人的な体験だけれど…よく学校で遅くまで残って仕事をしていた頃、誰もいなくなったあとのステージの上に一人でいるの大好きだったのね。自分が音楽家に還るというか。管理者じゃない、経営者じゃない、音楽家としての空間が自分で感じられてね。ステージを見渡すと楽器が一杯並んでいて、こういうのをみると、もの凄い本能が搔き立てられる。やりたいことは山のようにある。学生たちがよくかけない、打楽器の使い方が分からないと相談してきたけれど、

「回りを見渡して座りなさいよ、楽器と並んで。そうしたらやりたいことが感じられるよ。」と思う。

 たくさんの楽器の回りをうろうろしているだけで、ああ俺、一生、かけるなあ。って。」

 

                            文 責/會 田 瑞 樹

 

《国際交流基金アジアセンター主催事業"Notes" ジョグジャカルタ「Invisible」公演によせて》

曲                           

 「7月にまた会おう!」という言葉をふと思い出す。

 誰だってできない約束をしたいわけじゃない。その人との再会を願う希望と共に、旅立つ人たちを見送る。そうやって人は出会いと別離を繰り返す。

 1月を経ての数ヶ月の間に、僕たちは様々な経験をした。

 日本国内でのミーティングを重ね、僕たちのボス・青柳利枝さんはジョグジャカルタにも赴き、インドネシアの仲間が何を考え、どんなことを志向しているかを丹念に取りまとめてくださった。その時期からぽつりぽつりと曲ができはじめる。最初はギギーだったと思う。ヴィブラフォン独奏のための音楽《夢を見たい》は、日本でギギーが浮かべていた表情そのものだ。続いてアリエフもシンバル独奏のための作品を書きおろす。シアター的な要素も含んでいる。

 なにやら僕もふつふつと湧き上がるものがあった。作曲をすることは昔から憧れの行為だ。10代のときには作曲家の真似事もした。今の自分に何が描けるだろうか。まず全員でできる音楽が欲しいと思った。新加入の落合一磨さんも、できれば青柳さんも参加できる音楽がほしいと思った。そうなると五線紙で表現するよりも、暗示的な言葉で組み立てた方が良いだろうと判断し《The river》を書いた。

 ところで、1月以来からやたらにインドネシアの人たちが僕のInstagramをフォローしてくださっていることに気がついた。彼らのInstagramの華やかさは日本人をはるかに上回っている。センスの良い写真や、時には動画も。そんな中、ある女の子のInstagramに目が止まった。ずいぶん踊りが上手で、ノリノリに腰を振っている。流れてくる音楽はリズミカルで楽しげだ。こういう曲も演奏会にあったほうがいいのではないかと思った。そういえば一月、僕たちは京都で毎夜痛飲し、青柳さんも囲んで踊り狂った。そんな思い出が音楽にならないだろうか。ふと、モーツァルトの時代から頻繁に作られていた「ディヴェルティメント(嬉遊曲)」という言葉が浮かぶ。そして、インドネシアの仲間たちが気に入ったあの日本語がやってきた。そうだ、これでいこう。これが日本からの僕たちのグリーティングメッセージだ。

・・・《カンパイ・ディヴェルティメント》!!

 

 

示部                            

 ガルーダ・インドネシアの鮮やかな青い機体がまぶしく光り輝く。今回コーディネーターを務めてくださる佐久間新さんとたまたま隣同士になり、様々な会話を重ねるうちにあっという間にジャカルタスカルノハッタ国際空港へと降り立つ。最新の設備揃う真新しい空港を闊歩し、空港のほとんど端っこまでたどり着いた時、懐かしい声が聞こえた。アリエフ・ウィナンダとの再会!!変わらない姿に僕はほっとしていた。相変わらず気遣いのアリエフで、まだ買い物に不慣れな僕に付き添ってサポートしてくれる。少し搭乗まで時間があったのでアリエフに「ラーマーヤナ」について尋ねてみた。渡航前までに少しは「ラーマーヤナ」のストーリーを理解したかったのだけれど、なかなか分からなかったのだ。アリエフの説明はとてもわかりやすかった。冒険活劇であると同時に、道徳的規範をも示すこの物語。なんだかラーマがアリエフに見えてくる。

 ジョグジャカルタ・アジスチプト国際空港に降り立ち、僕は何か大きな懐に抱かれたような感覚になった。ジャワの神々がここに降り立つことを許してくださったのなら、僕は心からそれに感謝したいと思わずにはいられなかった。1月からの長い道のりを噛み締めていた。

 翌朝、ホテルに備え付けのプールに飛び込む。長旅の汗がさっぱりと流れて気持ちも晴れやか。今回制作を行う佐久間新さんのスタジオに向かうと、ウェリ・ヘンドラモッコがヘルメットを被って待っていた!!現地でのウェリさんは日本にいた時よりもずっとたくましく見えた。

 さっそく楽器の搬入を行い、少しずつリハーサルが営まれていく。まもなく、ガルディカ・ギギーがやってきた!!颯爽とモーターバイクで登場するギギーは眩しく見えた。

 そうして、1月のあの時のように、誰ともなく、ごく自然に公演リハーサルが始まった。

 

開部                               

 ウェリさんの描いた《龍安寺のハーモニー》は京都の記憶が音楽となって美しく紡がれている。ギギーが翻案して五線紙も使っており、演奏上なんの問題もない。全体合奏の作品以外は、小部屋を使ったりしながら自主的に稽古を重ねていく。

 僕の《The river》もまず音出しに入る。混沌とした世界が広がって僕自身も当惑してしまう。やはりいろいろ細部の決定も必要と思った。なにより、少しシマリがない。これしかない、という決定打を考えなければと思った。

 東京でもそうしているけれど、悩んだ時は、外に出る。今回もまた、ボロブドゥールとプランバナン。二つの遺跡に足を運んだ。そこで見た、特にボロブドゥールの原始的でいて、細部まで行き届いた構築美、そして上層部に上がるにつれて物語が進んでいく表現に感嘆した。これを音楽で活かせないだろうか。細密画のような、「ミクロ・ポリフォニー」で、細かい粒が集積していくような音楽にしたいと願った。

 そしてガムラン音楽に欠かせない、女声の表現を、僕たちは渇望していた。

 ウェリさんにお願いして、奥様である、ワヒューさんに練習に来て頂き、よかったら歌っていただけないでしょうかとお願いすることにした。

 いざ、合奏。The river前半部はミクロ・ポリフォニーを思わせるたくさんの音の集積を目指し、後半はスラマット・アブドゥル・シュクールの言葉を歌と朗唱でコラージュすることを目指した。ワヒューさんの歌声が響き渡る。ジャワの神様が好む声なのかもと夢想した。

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 日本からのご挨拶、《カンパイ・ディヴェルティメント》は琴奏者、金子展寛氏の卓越した技術と音楽性への敬意と、幾度となくカンパイをご一緒してくれたノブさんやインドネシアの仲間への親愛を込めて作曲した。リハーサルを重ねるごとに、なんだかウェリさんが、特に気に入ったらしく、いきなりハグされたのにはびっくりであった。

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 そして渡航前の僕の想像通り、インドネシアの音楽はリズミカルなものが多いことをテレビで知った。夜な夜な、ビンタンビールを片手にテレビをつけると始まったその番組は「ビンタン・パントゥーラ」賑やかに女性も男性も大騒ぎ。歌声が響き渡る。僕はいっぺんにこの番組の虜になってしまった。なんでも五時間にわたる生放送で、一般公募のオーディション番組なのだという。それにしたって、みんな踊りまくっている。カンパイ・ディヴェルティメントで使ったリズムがそこかしこに聴こえてくる。インドネシアってアツい。心が躍った。

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再現部                            

 「この写真を何年後かに見たらきっと思い出せるよ。今はこうして会えるけれど、これからはなかなか会えない僕たちだから、良い思い出の形になる。」

 アリエフの言葉がふと思い出される。人生は旅のように出会いと別れをくり返す。それぞれの思いは音楽に、すなわち”NOTES“となることを信じている。たくさんのお客様に、僕たちの音楽は届いただろうか。インドネシアジョグジャカルタでの公演を経て、僕たちは次の旅、10月の紅葉深まる、少し肌寒さを感じる東京へと向かう。

 

 

東京公演詳細情報は以下に掲載!:

notes.jfac.jp